そして騒ぎが起きたのは、屋上から降りてきたその直後だった。


「早く入りなさい!! 門が閉まるわ!!」


という女性の鋭い叫びと、遠くから鳴る地響きに何事かと門の先に目を向けると、


「あれ、全部、魔物なの……」


口元を押さえ、いくらか青ざめたエステルが呆然と土煙を見つめて言う。足元のラピードは姿勢を低くしたままグルル、と警戒の色強く呻り声をあげていた。私も信じられない気持ちでその横に並ぶ。


「……時季が、早すぎる!」











003:右往左往の道の先












少なくとも通るであろうルート上の町や施設近辺の事はある程度調べていた。
デイドン砦は一定の時季にペイオキア平原北部から現れ押し寄せてくる魔物たちの大群から帝都を守ることを主目的とする砦だ。本来は関所だったらしいが、今現在その役目はほぼ終えている。
花の街ハルルへ至るにはこの砦を越えなければならないため、魔物の大群が沸く時季にかち合わないよう何度も何度も確認していた。だというのに。銀髪の美丈夫との邂逅ですっかり北側を確認するのを忘れていた。少しでも見遣っていれば、もう少し早くに避難を促せたかと思うと、自分のミスに唇をかみ締める。


「よし、退避は完了した、門を閉めろぉ!」


焦りの色濃い騎士らしき人の怒鳴り声に、けれど門の外側にまだ人がいるのを見止めた女性の声が制止をかける。しかしお構い無しに門扉を下ろそうとする騎士の動きをラピードが弾き飛ばす勢いでタックルして止めた。


「エステルとはそこで待っ……て、おい!」


ユーリの指示も空しく、エステルは既に門の外、怪我をしているらしい男性の傍でしゃがみ込んでいた。


「……っとに……はそこにいろよ、頼むから」


返事も待たずにユーリも門の外、土煙が迫るそこへと駆け出していった。
ならばと私は、門の内側、二人が戻ってくるだろう位置にへたり込んだ人達を門から離れたところまで誘導する。腰を抜かしたらしい女性の肩を担ぎ上げて道の端安全なところに座らせて、門を見遣る。ユーリもエステルも戻ってきていた。取り残されかけた小さな女の子も、男性も一緒に。
間に合った、と息をついたのも束の間、


「お人形、ママのお人形〜!」


その声を聞いて、弾かれたように走り出そうとしたエステル、その腕を取って止めたユーリは再び門の外に疾走する。門扉は半分以上閉まりかけていた。


「ユーリ!!」


無茶だ! 悲鳴みたいな声が喉から迸り門に向かって駆け出して、エステルに止められる。


「行っちゃ駄目! まで危ないです!」
「でも……!」


ユーリが人形を引っ掴み、土を蹴る。
その背後数十歩という近さに死の権化たる土煙が迫り来ていた。門扉はもう、殆ど降りている。ユーリが走る速度を上げた。けれど、このままでは重たい門が地に沈むほうがいくらか早い。このままではユーリが―――




嫌だ、お願い、間に合って、―――一瞬でいいから―――止まって!!




目をぎゅうと閉じて必死に祈った。私の体を抱くように止めていたエステルが、え、と小さく音をこぼす。「ギリギリセーフ」と幼なじみの声がして、直後にズン、と重たいものが大地に落ちた音、一瞬の間も置かず重厚な門扉に次々と重量のあるものが衝突する衝撃が一帯の大気を揺るがした。
女の子に人形を手渡すユーリの、ちょっと土で汚れてはいるけれど無事な姿に私は思わず駆け寄る。





「……今、一瞬……」


不思議そうな表情で門扉ととを見比べたエステルは、けれど一つ頭を振ってユーリたちの下へ走り寄った。






危うく騎士達に職務質問されそうだった私たちは魔物狩りを生業とする人たちとのいざこざが起きた隙を見計らって何とか騎士たちの手を逃れ、さてどうしたものかと頭を寄せ合っていた。
その時、真っ先に避難を促した声の主……赤い髪が美しい妙齢の女性が私たちに……正確にはユーリに声を掛けてきた。
その人は幸福の市場の社長、カウフマンと名乗り、ユーリを護衛に雇おうとしたのだ。一部すったもんだがあってエステルが情報を集めに行く、と少し肩を怒らせて駆け足で去っていくのをラピードと二人で追う。
そういえば、父も幸福の市場のギルドメンバーだったらしい。あの人は父を知っているだろうか。……結構若い人に見えたので知らないかもしれないな、と思いながら。


「エステル、大丈夫?」
「…………」


やがて途方にくれた様子で立ち尽くすエステルの背に声をかけると、エステルは形の綺麗な眉をきゅ、と寄せて路傍に座り込んだ。私もその隣に並んで座る。
ラピードは更に私の隣に寝そべったけれど、その目は周囲を警戒する色がある。言葉はわからないけれど信頼できるボディガードの存在に感謝しながら、私はエステルの言葉を待った。


「魔物に足止めされて、随分フレンに引き離されてしまった気がします……間に合わなかったら、どうしようってそればっかり浮かんでしまうんです……」


不安一色のエステルの表情が胸に痛い。まだ出会って一日も経たないけれど、彼女の大輪の花が咲いたような笑顔が見たくて、私はエステルの背中を軽くさする。


「大丈夫よ、エステル。エステルも知ってるでしょ、フレン強いもの。剣の腕はユーリより強いんだよ、それに勘もいいし、フレンならきっと何かあっても切り抜けられるから、ね」
……」
「それにほら、確かに砦を真北に抜けられないかもしれないけど、別のルートきっとあるよ、大丈夫、絶対追いつける。……頑張ろう、一緒に」
「……はいっ! ありがとうございます……!」


不安に沈んだエステルの表情が、微かに明るく華やぐ。
それにほぅ、と安堵の息をつきながら、エステルの頭越し、ゆっくりと近付いてくるユーリに目配せを送ると、ユーリは親指を立ててウィンクをしてきた。よくやった、の合図と、ユーリ自身も何かいい情報を貰ってきたと思わせるだけの明るいサインだった。







クオイの森、デイドン砦の西側に当たるその名を持つ森は、一説によると踏み入った者に呪いが降りかかるという話があるらしい。とは言え、地理的にもフレンに追いつくための時間的にも砦を真っ直ぐ北に抜けられないのであればここが一番の近道になるのだ。
まだ明るい時間帯だと言うのに、森に一歩踏み込むと、突然夜になったのではと錯覚するぐらいに暗く、湿ったひんやりとする空気に包まれて、思わず身震いする。
挙句、鬱蒼と茂る草木で視界がすこぶる悪く、何度か魔物に奇襲をうけることもあった。


「こりゃ地味にきついな」


今も襲ってきた獣型の魔物を斬り伏せて、剣についた血を払いながらユーリが髪をかきあげる。
ここまで殆ど休憩なしで来た為か、ユーリもエステルも疲労の色が濃い。獣型ならばともかく、植物型の魔物はユーリたちにもその存在を見つけにくいらしく、ラピードが何とか魔物の気配を感じてくれたお陰でギリギリ対処できる状態だ。


「すこし開けた場所でも有ればそこで野営できるんだけどね……」


辺りを見回しても、ある程度視界が開けた、数人が座って過ごせそうなスペースは見当たらない。
ううん、と呻りながら一歩だけ後ずさった瞬間、張り出した枝が手の甲に掠った。突然の鋭い痛みに小さく痛、と声を漏らしてしまう。
聞こえたらしいエステルが、血相を変えて駆け寄ってきた。
私の手を取り、傷(これが想像より派手な出血だったのだ)を見て顔をしかめる。


「大丈夫です!? 今治療しますから……!」
「平気だよ、大した怪我じゃないし、それに」
「何を言ってるんですか! ばい菌が入ってしまったら危険なんですから!」


治癒術のとおりが悪い上にエアルに弱い体質だから、と続けようとしてエステルにピシャリと遮られる。
その剣幕に思わずはい、と頷いた。まぁほんの少し気分が悪くなるだけだ、我慢すれば大丈夫。
これくらいの傷なら術の効きが悪くても多分ふさがるだろう。
折角のエステルの厚意を無碍にするのは何だか嫌だった。


「エステル、は……」


エステルにしては割と荒げられた声に、野営地を探していたユーリがこちらに意識を向けたらしい。私の体質をいやと言うほど知るユーリは、エステルが治癒術を使おうとしているのを見て珍しく焦った声で止めに入ったのだが、しかし間に合わなかった。








ずぐん、と体の奥で気持ちの悪い脈動を感じた。

ずぐん、どくん、ずぐん、体の中の音が響くたび、全身にやたら大きな塊が流れては詰まる、そんな感覚。
よくわからない息苦しさを覚えて、ハ、ハ、と短い呼吸を繰り返す。でも、おさまらない、


「ぅ、……ぁえ、……?」


すぅ、と世界が色を失ってゆく。
白と黒の狭間で、せり上がる違和感に足がもつれた。
膝に力が、はいらな、くて、がくり、と湿り気のある、地面、に崩れて、しまう。
エア、ル酔いって、こんな感じ、では、なかった……は、ず……
なに、これ、こんな、かんかく、あれ……


「ぇ、え、何、なんで、っ!!」
「ちょ……っ、何だこりゃ……こんな症状、聞いてねーぞ……!!?」


エステルの悲鳴が意識の上のほうを掠め、ユーリの動揺が意識を上滑るのを感じながら、私の世界は閉じた。






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