「…………、お前なぁ…………」


私の話を聞いたユーリが、重苦しく息をついた。多大な怒りと少々の呆れがユーリの中でごちゃごちゃに入り混じっているようだった。私の隣で、エステリーゼと名乗った(そしてエステルと呼んで欲しいと迫ってきた)見るからに貴族とか皇族クラスの女性がおろおろと私とユーリを見比べている。そしてある種の元凶であるラピードは人間たちの微妙な修羅場に我関せずとばかりに周囲の見張りに勤しんでいるようだった。











002:いたるまでは












帝都ザーフィアスを出ると、マイオキア平原と呼ばれる広大な草原が広がる。大して視界を遮るものがないので、ルブラン小隊に追われて来ていたらしいユーリとエステルさんに促されるまま必死に逃げた結果、デイドン砦からかなり南に位置するちょっとした森の中に逃げ込むことに成功。休憩がてらに自己紹介と互いの事情発表会になったわけだが……その結果がこのユーリの難しい顔だった。あまり見たくない部類の表情に、思わず体が竦む。しかしユーリは、再度深く溜息をついて、


「いや、言えばよかったじゃねーか、フレンはともかく俺は別に反対しないよ、お前が選択した事なんだし」
「うん……いや、でも何か言いづらくって……ごめん」


謝ると、その場の空気が僅かに緩む。隣のエステルさんはあからさまにホッとしたらしく、小首をかしげて柔らかく微笑んだ。それから、じゃあ今度は俺らの番だなとユーリが口を開く。


曰く。


水道魔導器を修理した貴族、モルディオは貴族ではなく魔核泥棒だった。
貴族街で色々あってキュモール隊に逮捕され(キュモールの名前を聞いて、過去のおぞましい記憶が開きかけたが、ひとつだけ息を飲み込んで耐えた)、投獄された先で、モルディオが学術都市アスピオの天才魔道士と呼ばれる存在だと知った。
とりあえず下町が落ち着いたかどうかだけ確認したくて夜明けまでに戻るつもりのプチ脱獄を図る。
脱獄中、フレンのところへ行く途中だったエステルさんを助け、フレンが暗殺者に狙われていることを知る。


「って、フレンが暗殺者に……!?」
「ああ、どーやらマジっぽくてな」
「はい、フレンを尋ねて彼の部屋にお邪魔したんですが……そこでザギと名乗る暗殺者に襲われてしまいました」


幸い大した被害もなく撃退できましたが、とエステルさんが顔を曇らせながら続ける。
その狙われたフレンだが、どうやら騎士の巡礼なるものに旅立ってしまい、自室どころか帝都にすらいないらしい。そのため、エステルさんはフレンに危機を伝えに行きたいと城を出奔、その手伝いで成り行き上プチどころじゃない脱獄をしてしまったユーリはそのまま魔核泥棒を追うことにしたらしい。
恐らく、城の外に出るのが初めてだったらしいエステルさんを見かねて、というのもあるんだろう。相変わらず見た目に反して人がいいんだから、とこっそりと笑うと、ユーリは少し目を逸らし、エステルさんは不思議そうに首をかしげた。
そしてその後、下町出口のサプライズエンカウントとなった、のが事の流れだったようだ。


「……で、、お前どーすんの? 急ぐ旅……って感じじゃねえんだろ?」
「私? んー……そう、だね」


路銀以外の期限が切られた旅ではなかった。その路銀も、可能な限り自分で賄うつもりでいたので厳密な意味で期限はない。
多分ユーリの言いたいことはこうだ。護身術もろくに習えずじまいだったしホーリィボトルで魔物を避けるのも限度がある、ならばある程度の安全を確保するまでは一緒に来ないか、と。大体こんなところだろう。願ってもない話だが、ユーリやエステルさんのように戦えない私がいたら迷惑じゃないだろうか、と恐る恐る窺うと、「ガキの頃っつっても旅慣れてたお前がいて迷惑なわけあるかよ」と頭を撫でられた。そのくすぐったさに思わず笑みをこぼすと


「やっと笑ったな」


とユーリは一仕事終えて満足したような表情で笑った。どうやら緊張と恐怖と動揺で顔がガチガチになっていたのを気にしていたようだ。気を使わせてしまったのが少し苦しくて、同時に嬉しい。
エステルさんに至っては


「フレンからずっと貴方の事聞いていたんです、という名のとても可愛い幼馴染がいるって! そのとこうやってご一緒できるなんて嬉しいです!」


と私の手をとり笑顔を輝かせる始末だ。
フレンがエステルさんに聞かせた私の話とやらの内容に一抹の不安を覚えつつ(正直何も楽しいことしてないんですが)、エステルさんの手を恐る恐る握り返す。


「その、戦えもしないお荷物な不束者ですけど、よろしくお願いしますねエステルさん……」


うっかり妙なことしでかして不敬罪なんぞで逮捕されたらフレンに申し訳ないなと思いつつの挨拶だったのだが、どうやら既にしでかしたようだ。可愛らしい眉をきゅ、と寄せて駄目です! と一喝。初っ端からやらかした! と縮こまる私をよそに、エステルさんは言い放った。


「さん付けなんて要らないです。ただ、エステルと呼んでくださいね。敬語もなしですよ! 私、とお友達になりたいんです」






とりあえず休憩を終わらせた私たちは、フレンが向かったという花の街へ向かうことになった。


「花の街?」
「ハルルの街、ですね」
「そう、ハルル。小さいころ何度か立ち寄ったけど、綺麗なところだよ。ピンクの花びらが雪みたいで」
「うわぁ……素敵です」


過去の記憶を掘り起こしながら当時の感想を述べると、エステルは頬を染めてまだ見ぬハルルへと思いを馳せている。だが、


「その前にデイドン砦を抜けなきゃいけない、だったな」


若干引いた様子のユーリの言葉に、そうですね、とエステルはコホン、と咳をした。




そんな会話から数時間。
ユーリたちの戦闘中はホーリィボトルで身を隠すことに集中するしか出来なかった私は、何度か魔物との戦闘を経験していよいよ一人で旅立ったことの無謀さを全身で実感し、件のデイドン砦に到着する頃になると自分のお荷物さ加減に若干嫌気がさしてきていた。近場にいた商人のおじさんから情報を貰おうと話しかけ、エステルが一冊の本を食い入るように読みふけるのを眺めながら手に入れたのが、門の先に魔物の群が出て足止めを食っている、というフレンの後を追うには少々厄介な話だった。


「魔物ですか……」
「門が開いてる今抜けることが出来ても、抜けた先で魔物の大群に襲われちゃあたまったもんじゃねえな」


肩をすくめて、門の先を見遣ったユーリは、他に話を聞けないものかと同じように足止め食らっているらしい別の人に話しかけている。エステルはどうしたものかと熟考を重ねているようだった。砦の名を冠しているだけあって、ここには騎士が多い。魔物が出ているとなれば尚更その数も多いだろう。そんな中、門を抜けようとすれば危険だと止められるのが関の山、騎士に追われて来た二人はそのまま捕まる可能性だってないわけじゃない。となると、ある程度単独行動で状況を探るなら私がいいはずだ。
そこまで考えて、ふと門の上に人がいるのがちらりと見えた。あそこからなら平原の先がどうなっているかくらいはわかるだろう。


「私、ちょっと砦上ってくるね」
「えっ、?」


すぐそばにいたエステルに言い残し、騎士団の詰め所らしい扉まで駆け出した。





「うわ……」


門の上、恐らく見張り台をかねているだろう堅牢な石畳のようなそこに上がり、改めて周囲を見渡す。
大平原が360度に広がり、来た道であろう方向を振り返れば帝都ザーフィアスの荘厳な姿。その向こうに目を馳せれば先の見えない空と太陽の光を受けて青く輝く海がちらりと見え隠れしている。
世界の広さを十年ぶりに実感して、私は一度目を閉じて深呼吸した。


旅の経験を思い出せ。
あの頃の私は子供だったけど、子供の頃の経験だって馬鹿にならない。少なくとも私は二人に比べれば間違いなく旅慣れている。
隊商の長だった父の背中を何年も見てきた、旅をともにした護衛の皆の立ち振る舞いも見てきた。
宿を取る際のマナーも、情報を拾うための技術も、その精査の方法も、困ったときの対処法も、野宿の方法も、薬になる薬草や素材の採取の方法だって子供だった私に、子供だからと言って特別視せず旅の仲間として皆親切に教えてくれた。その知識は今でも根付いている、帝都で生きてきたこの数年、それを意識しなかった日は一日だってなかったじゃないか。
―――戦えないならサポートで役に立てばいい。一人勝手に旅立とうとした私を許してくれたユーリと、私に優しく微笑んでくれたエステル、きっと私を心配して足止めをしたに違いないラピードのために。
よし、とひとつ覚悟を決め、砦の北側を注視しようとした。


「……お前は」


低い静かな声が掛けられた。聞いたことのない声。
けれど、その声はまるで私を知っているかのような驚きをもっていた。
振り返れば、一瞬目の裏にチカリと痛みを伴う記憶が瞬く。同時に謎の郷愁を覚え、思わず服の胸元を少し握り締めた。
銀の柔らかそうな長い髪が砦を抜ける風にさらわれ、その中の真っ赤な瞳が私を真っ直ぐ射抜いていた。
その姿は、一瞬女性かと見紛うその美貌。が、声の低さはその人が男性である証拠。
知らない人、だろう。でもさっき何かが引っかかった。懐かしさのようなものすら感じたのだ。眉が寄るのもかまわず、引っ掛かりを解こうと躍起になる私の心を、正面の男性は目を細めることで沈めた。


「深くは、考えるな」


ほんの僅かに口元を緩め私を見つめる赤い瞳は何故か不思議な感慨深さを湛えている。その色を見る限り、やはり目の前の美丈夫は私を知っているのだろう。


「……あの」


私をご存知なんですか、と続くはずだった言葉は、後ろから伸びてきた腕に遮られた。え、と思う間もなく勢いそのままに腕の主……ユーリの胸の中に閉じ込められて、私は目を白黒させる。走ってきたのだろうユーリの胸の鼓動が近いことにどぎまぎしながら幼馴染を見上げると、僅かに警戒した様子の彼は真っ直ぐに銀髪の男性を見つめていた。
銀髪の人はと言うと、先ほど私と向き合っていた時の柔らかさが消え、まるで凪のような無感情さで。
その変化に、私は戸惑いを隠すことが出来なかった。



その後、僅かに会話を交わしてから男性が消えた後。一人でうろちょろすんなとユーリにデコピンを食らい、その背後にいたエステルはユーリに抱きしめられる形になった私を見て何か勘違いしたらしく目を輝かせて「二人は恋人関係なんです!?」と食い入るように尋ねてきたが丁重に否定しておいた。






Back   /