予定は未定、なんてよく言うものだなぁ。
一向に道を譲ってくれない彼を前に、私は鞄の肩紐を直してそう思った。












001:あっさり潰えた無謀な企画












私には父の死んだその場所に行くという目的があった。


私は帝都の生まれではない。ではどこの生まれなのかと問われればどこだろうと首をひねる。
物心ついたときには、私の生活は馬車の荷台が中心だった。周りには常に数人の大人(護衛の戦士たち)と、行商人だった(筈の)父だけ。
その父とは十歳の頃、海を挟んだ遠い山の上で死に別れた……筈だ。
筈だ、と言うのは、大怪我をしつつも生き残った私が目覚めた場所が、何故か帝都だったから。人の言葉を話す魔物に襲われたのは覚えている。父と同じ傷を持つ手がその魔物の足に押しつぶされていたのも目にした。だから私がその場にいたのは確かなのに、海を挟んで遠く離れた、別の大陸からたった一人私だけが、帝都の下町の入り口に倒れていたのだそうだ。何かの奇跡かそれとも魔物の餌になりかけていたところを間違えて帝都の下町に落とされたのか、何にしても私はひとり生き残り、気を失う前のあの惨状に、父は死んだのだろうと想像しただけなので、「筈だ」、なのだ。


そして十年が経った。


その間に、父の護衛をよくかって出てくれたギルドの人と再会したり、父と懇意だった人の協力を得たりしながら、私はいつからか心に抱いていた目的を果たそうと仕事に励むようになり…そしてようやく。
必要なものを取り寄せ買い揃え、元護衛の人の馬車に乗せてもらえる手筈まで整えた私に待っていたのは、下町の水道魔導器が壊れるというとんでもない大事件だった。


「いいんじゃよ、。お前さん今日出発予定だったんじゃろ」


ずぶ濡れで作業を続けるハンクスさんは、私が旅に出ることを唯一知る人だった。率先して私のことを見てくれたのはハンクスさんと今は亡き奥さんである。そのハンクスさんがどこか悲壮な顔でひたすら作業しているのを横目においそれと旅立てるわけがなかった。そんなことをしたら、絶対旅の最中気になって気になりすぎて大ポカやらかした挙句に多分即刻魔物に殺される。それに私は知っているのだ。下町の皆から修理費を集めただけじゃなく、あれほどに大事にしていた奥さんの形見さえ売ってまで、工面したことも。


「いいの、気にしないで。明日出直せばいいんだもの」


朝からの大騒ぎだったので普段着のままハンクスさんの隣で土嚢を積み上げていると、見慣れたブーツが水を割るのが目に入る。


「なんだ? どでかい宝物でも沈んでんのか?」


顔を上げると、そこには予想通りの顔があった。
幼馴染のユーリ・ローウェルその人である。そのユーリに答えた知人―――ライナスと一言二言交わし、ユーリの視線がこちらに向く。お前まで力仕事する必要ないだろ、と言わんばかりの呆れが混じったその目を私はわざと知らん振りして、作業を続ける。暖かい時期だったのが幸いして水はそこまで冷たくもなく、それほど苦痛もないまま作業に没頭するフリをした。
顔を合わせ辛いのだ。



だって、「彼ら」には旅に出ることを告げていないから。



ユーリ・ローウェルと、フレン・シーフォ。二人とも私より一つだけ年上の幼馴染。
父について旅をしていた頃―――年に数度、数週間ずつにわたって下町に預けられるのが恒例になりはじめた頃。独り馴染めなかった私に声を掛けてくれたのが二人だった。
彼らが声を掛けてくれたお陰で、私は少しずつ知り合いが増え、友達が増え、父がいない数週間を穏やかに過ごせるようになったのだ。そのときに築いた沢山の友達関係は、今でも確かな形で続いている。
その中でも、二人との関係はずば抜けて強かった。それは私がユーリとフレンに守られてきたのもあり、私が二人を頼っていたのもあり、……それ以上に彼らの責任感の賜物でもあろう。
だがその責任感は過保護と言う形にいつしか変わり、気づけば私は僅かながらに息苦しさと罪悪感を伴うようになっていた。私の存在が彼らを縛っているのではないか、とようやく思い至ったのは、恥ずかしいことながらほんの数ヶ月ほど前のことで。ハンクスさんに旅に出ることを話したその時流れのままにその話まで口にした際、厳しくも人のいい祖父代わりは気を使ってか「責任感とか縛っている……ということはないと思うぞ、どちらかというと、な」と苦笑に留めていてくれたが。
ともあれ、その罪悪感と息苦しさから脱却するいい機会でもあるかもしれないからと、あえて二人には黙って旅に出るつもりでいたので……こういう形でとは言え、出発予定のその日に顔を合わせるのは少々後ろめたいものがあった。
ユーリはと言うと、心底うんざりというポーズをとりながら作業に参加していたが、何かに気がついたらしい。魔導器の中心を見たまま僅かに険しい色を潜ませた声で何事かを問うて、暫し。


、お前も程ほどにしとけよ。いくら暖かい時季だからって体冷やしすぎはまずいしな」


片眉だけ器用に上げて、ぽんぽんと二度、私の頭を叩く。わざと顔を上げてないことぐらい気づいているのに普段と変わらない態度のまま、噴水をざぶざぶと出て行った。
恐らくは、魔導器を修理したという貴族のところへ行くつもりなんだろう。その後姿を見ながら、私は心の中でごめんね、と謝った。






結局、水が枯れる夜中まで作業は続くことになり、乗せてもらうはずだった馬車を見送ることになった。
まぁ、馬車云々は偶々運良くタイミングが合ったってだけのことで、本来は取り寄せたホーリィボトルで魔物を避けながら徒歩で旅に出る予定だったわけだから、プラマイゼロではある。でもわざわざ手配してくれた知人にはとても申し訳なかった。お礼に渡そうと思っていた謝礼金をお詫びと変えてただ申し訳なくて頭を下げていたら、代わりにグミやホーリィボトルを数本くれたのが有難かったし更に申し訳なくも思った。
しかし流石にほぼ一日水に浸かったまま力仕事をするのは堪えるものである。夜に出奔するのも危険なこともあり、先日綺麗に片付けたはずの自宅に戻って、翌日の再出発に備えようとベッドに横になった途端意識を失うように眠ってしまった。それでもいつもの時間―――売り子の仕事に出かける時間、早朝に起きられたのでよしとしよう。


父と懇意にしていた人たちからの情報で目指す地が砂漠越え前提であることを知っていた―――以前訪れた際は近くまで船で行ったのだ―――私が、旅の装束に選んだのは、フードにもなるショールと、袖で風を孕んで放熱効果も狙える黒っぽいインナー(普段はボタンでひらひらを抑えておける優れものである)とノースリーブのコートだった。あとは精々歩きやすいブーツと多少の荷物を運べる鞄、それから旅が長引いて路銀が足りなくなったときに働けるように売り子の制服代わりに使っていた普段使いの巻きスカートと、山盛り買い揃えたホーリィボトル、食料他色々。大分切り詰めたがそれなりに物が詰まった鞄を肩にかけ、最後にお守り代わりのヘアピンを耳元に挿した。そのヘアピンには淡い赤の石が埋まっている。
幼い頃に父がくれたそれは、武醒魔導器でもあった。ただ、何の因果か、私は一切の魔導器が使えない。
生活に関係する魔導器すら使えないのだ。下町暮らしなので、高価な代物である魔導器製品を見かけることなどそうそうなく、生活そのものに困ったことはないのだが、以前護身術を習う際に術技がまったく使えないことが発覚して、師匠にあたる人には魔物からは絶対逃げろと言い切られた挙句、護身術の鍛錬そのものを打ち切られた苦い過去がある。
それでなくても少々エアルに弱い体質であり、魔導器が使えたところで本当の意味で使いこなせたか疑問だったり問題は山積していたが、大量のホーリィボトルを知人経由で買い付ける事が出来たので一応の解決策を見出せた。
そして不安ながらもようやく旅路の一歩を踏み出そうと下町の出口に差しかかった私の目の前に立ちふさがったのが


「ワォン!」


と高く吠えるユーリとフレンの愛犬、ラピードだった。
先に断っておくならば、私とラピードはとても仲良しである。普段ユーリの部屋で暮らしている彼であるが、たまに私の自宅を訪れては一泊していったり、ユーリより何故か優先されることもあったり、どうやらラピードにまでお守りされているような気がするのが若干切ないところがないでもない。それはさておき。
そういえば、結局ユーリは昨日戻らなかったと聞いた。もう一人の飼い主たるフレンは普段城住まいで、いつもなら下町の騒ぎにいつも顔を出して力を貸してくれるのに気づけば昨日は顔を見てない、なんて今更なことを思ったりしながら、二人がいないのが寂しいからこんな風に道を塞ぐのかな、と可愛らしいことを考えてみた。
が、ラピードは男前な性格である。怖いものがないわけではないし甘えてくる素振りが全くない、というわけでもないけれど、寂しいっていう感情を全面に出す子かといえばノーだと思う。
となると何がしかの理由があるんだろうけど、その理由に思い至る節がないので私はただ困り果てていた。


「ラピード、お願いだからそこ通して」


と足を踏み出すと、すらりとした体躯の大型犬は踏み出した方向に体を寄せる。完璧に私を外に行かせない気らしい。
実力行使ですり抜けようとしても見事に察知されてただの一歩も許されないこの現状に、ようやく変化が訪れたのは、ラピードがコートの裾を軽く噛み引っ張るように私を促し始めたその時だった。


「バゥ!」
「へ、え?」


突然の行動に動揺するばかりだった私に一瞬で見切りをつけたらしいラピードは、長い尻尾を翻して下町のほうに姿を消した。いきなりすぎる通せんぼの終了に、数瞬呆然として、それから我に返る。今なら外に出られるじゃないか! ラピードが何ゆえ下町のほうへ私を促したのかが若干気になるけれど、まずは外に、と思った背後から。


!? おま……何だよその格好」


旅立ちを知られたくなかったユーリその人の登場で、私の旅立ちが初っ端から蹴躓いたことを知った。
ラピードが待ってたのはもしかしてこれなのか、と今更ながらその目的に気づいた私は、ユーリの傍らで私を見つめるラピードの微妙に勝ち誇った雰囲気に深く溜息をついた。
が、そのユーリもどうも尋常ではなかった。
まずその服にお金の入っている袋やら白紙の地図らしき紙やらが突っ込まれている。そして彼の背後に、知らない可憐な女性がついていたのには驚いた。


「…………えー、と?」
「…………お互い落ち着いたところで事情確認ってところだな」


お互いの状況に首をひねる私と女性にそう言い切って、まずは走れ、と先陣を切るユーリとラピード。


「あ、待ってくださいユーリ!」


と、慌てて後を追う女性に腕をつかまれ引き摺られるように走りながら、私もまたぐだぐだな第一歩を踏み出した。






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