昨夜妙にゾクゾクしたのでいつもより早い時間に床についた。
そして今朝。
目の奥が乾いて燃えているように熱くて、中に鉛玉を沢山つめられたみたいに頭が重くて、喉が焼けたようにじりじりと痛くて、暖かい季節の筈なのに背中を這い上がるような寒気がして、ああこれは熱が出てるな、と起き上がったベッドに再び入り込んだ。



 







何か胃に入れないと、と思ったけれど、流石にこの状態で食事を用意するのは億劫で、大人しく諦める。
このまま眠ろう、目が覚めたときにちょっと持ち直したら簡単に作ろう、昨日仕事帰りに買い物したばかりだから食料は大丈夫……





それから、時々目を覚ましては体が求めるままに夢に旅立つのを何度か繰り返した。





気を病むと書いて病気、というのは伊達じゃないなぁ、としみじみ思う。
自分の家なのに寂しい、独りでいるこの空間がびっくりするほど心細い。
どこを見渡しても勝手知ったる我が家なのに、全く知らない場所に単独で迷い込んだような、そんな独特の恐怖すら覚えてじわ、と涙が浮かぶ。
外から聞こえるはずの音も、熱に浮かされた頭が認識してくれないらしい。まるで無音だった。
世界に一人取り残された感が倍増して、それが嫌で仕方なくて、ブランケットを巻き込むように体を丸めて無理やり目を瞑って、夢の世界に逃げること、もう数回。









ふ、と意識が浮上する。
おぼろげな世界の中、鈍っているはずの鼻をくすぐったのは美味しそうな香り。
この家で台所仕事をするのは私で、その私はこうして寝込んでいるわけで、だからこんな、病人の胃すらもいい意味で刺激する匂いなんて存在しない筈で、驚いて、ぼんやりしていた思考が一瞬で冴え渡る。どうしよう、強盗だろうか、昨夜施錠したはずだったのに。もしかして昨日の夜の時点で熱でも出てたのか、だから実は鍵かけたつもりでかかってなかったとか、何にしても得体のしれない恐怖に鼓動が激しくなって気持ちが悪い。
それでも家主ゆえに状況把握に努めようと、ごそごそと丸まったまま、ブランケットを最後の防具のように必死に掴みながら、目線だけでこっそりと家の中を窺うと、


「お、目ぇ覚めたか、待ってろもうちょっとで出来上がるから」


何と、黒髪を一つに束ねたユーリが台所で鍋をかき回していた。
……いやそうか、わざわざ強盗だとかの類が料理なんてするわけないじゃないか、何を意味不明なことを怖がっていたのだろう私は。
さすが気を病むと書いて病気。頭の中身もうっかり病んでいたようだ、お馬鹿な方向に。
さて、幼なじみに強盗と勘違いされていたとは露しらずのユーリはというと、こちらに背を向けて鍋の中身の味を微調整しているらしい。ひっつめ髪は結われる時に随分乱暴な扱いだったのか、デコボコとしたうねりがちらほらあって、折角のキューティクルパーフェクトな黒髪だというのにとても勿体無い。
どうやら色々買い込んできてくれたようでキッチンのテーブルの上に見覚えのない紙袋が鎮座ましましておられた。昨日仕事帰りにちらりと顔を合わせたので私が食料を購入していたのは知っている筈、あの袋の中身は薬とか氷嚢だとかそっち系のものだろうか。あ、林檎が見えた。摩り下ろしたら美味しそう。
というか、


「………なんで、…げほ、…いるの?」


起きて一番最初に当然のように出てこないといけない筈の疑問が今更出てきてるあたり、やっぱり私は具合が悪い。ユーリが鍋の中身(どうやらコーンクリームスープらしい)を器に掬いながら首を傾げた。その顔にはいつもの気持ち悪戯めいた笑顔が浮かんでいる。


「んー? そりゃぁあれだ、じいさんに鍵借りたからだけど?」
「あ、そう……いやそうじゃな、ごほっ、」


く、苦しい……。思わず発言内容に突っ込もうとして派手に咽せ、涙目で蹲る私の背に、ブランケット越しにユーリの手が乗った。「落ち着け」と背中を摩るその感覚に、何とか平静を取り戻す。


「昨日の時点で気付いてたよ、お前へーきそうにしてたけど物凄く顔色悪かったぜ」


落ち着いたのを確認したユーリが、トレイを持って戻ってくる。少し小さめの器二つに盛られているのはさっき彼がことことと煮込んでいたコーンクリームスープと、玉子とほぐした魚の身が散らされたシンプルな雑炊。
雑炊はフレン作だぞ、とニヤリとユーリが笑い、


「病人が食うもんだから余計なアレンジは加えんなよって言ってあるし、味見もしたから。……美味かったよ」


ほれ食え、と匙を手に取らせて傍らの椅子に座り込む。
背もたれを抱え込むようにして顎を乗せ、私を窺うその表情はなんだか随分と柔らかい笑顔だった。……のだけど、目の奥が笑っていないのに気付く。あ、これちょっと怒ってるな、とピンときて、小さくごめん、と謝った。


「……心配させた?」
「当たり前の事聞くな馬鹿」


仄かに甘いスープをすすり、雑炊の丁度いい塩味に息をつく私の額を拳を握った指の骨でコツ、と小突いてユーリは。


「その、限界超えてまでひとりでどーにかしようとするクセをどーにかしろよ」


後で警邏終わったらフレンも来るぞ、心配しすぎて逆に目ぇ吊り上げてたから、後できっちり叱られろよな。


その言葉に思わず顔を引きつらせたけれど。



孤独感も心細さも、もうどこにもなかった。