顔が見れません。


あの転落事故? から随分経ちましたが、あれから私はユーリの顔を真っ直ぐ見ることが出来なくなりました。それどころかまともに喋れなくなりました。


いや知ってたよ、昔から。ユーリは本当に美形だって知ってたよ。
でも、なんて言うのかな……ただの幼馴染としてしか見てなかった時は、ただそこに美青年がいる、それが幼馴染の一人だって言うだけの事だった訳で。まぁ、見とれるようなこととかドキッとすることがなかった…といえば嘘なんだけれど。
それが一転、自覚してしまった恋心補正が恐ろしく高性能だったらしく、以前は普通に見れたはずのユーリが何だか物凄くキラキラして見えて、自分の頬からぶわぁっと熱が出るようになってしまって。
ユーリの何気ない表情……ケーキバイキングに行って無表情を取り繕いながら目を輝かせているときの顔だとか、魔物との戦闘中に見せる不敵な目つきだとか、エステルやカロルをからかう時の悪戯っぽい笑顔だとか、……私を見つめるときのどことなく優しい熱が篭もった目…だとか、そんなのを目にするたびに馬鹿みたいに動揺しちゃうようになった。
恋って厄介だ、今まで普通に出来てたはずの会話すら、ユーリを好きだと意識した途端に何を話していいのかわからなくなって、しどろもどろになってしまうんだから。
で、ユーリのほうもそんな私の変調にしっかり気付いているわけで、最初は彼も戸惑いを見せていたのだけど。
最近は私があまりに挙動不審すぎるのを面白がっている節がある。
わざとらしく突然耳元で囁かれた事があって、びっくりして飛びのいたら笑いをこらえるユーリの姿がそこにあったりして、恥ずかしさのあまり逃げ出してしまったこともあった。
全力疾走の中、もうすぐ22にもなるっていうのにやってる事は子供か、と思いつつ、だけどそれ以上に楽しそうなユーリの表情を思い出して、ほんの少し沸いて出た怒りもぷしゅー、と縮んでしまう。
そんなときに私は、やっぱりユーリの事が好きなのだって心底実感してしまうのです。






「わふぅ」
「ラピード冷たい」


思い切りどうでもよさそうな鳴き声とともに地面に伏せるラピードを、は非難した。
二、三日ほど滞在することになった町の小さな公園は子供達のはしゃぐ声が程よく響き、うららかな日差しと鳥のさえずりが穏やかな光景に花を添えている。
そんな公園の一角で、はひとり体育座りしていた。若干どんよりとした空気を伴っていて、明るく賑やかな公園の雰囲気とは明らかに一線を画している。
つい先ほどもユーリから逃亡を図ったばかりで、ぜえぜえと息を整えているところに(恐らく仕方無しに着いてきたのであろう)ラピードが現れて、そこから人の言葉がわかるんじゃないかと目されているえらく男前な犬相手にぐちぐちとあれこれを零していたところだった。
ただひたすらにどうでもよさげな態度を崩さないラピード相手ではあったが、ある程度洗いざらい感情を吐き出したことで多少すっきりしたは、気を取り直してラピードの頭を撫でる。どうでもいいと思ってるのにそれでも最後まで話を聞いてくれた彼に感謝の気持ちを込めて。それが伝わったのか、クールでどっしりと構えているのが(多分)信条のラピードが僅かに頭を擦り寄せてきて、小さく「くぅん」と鳴き漏らす。彼は頼れる兄貴でもあるが可愛い弟でもあるのだ。
顔を緩めたは、よいしょ、と芝生に寝転がった。若い葉の青い匂いと、少し日に焼けた草の匂いが鼻を掠める。


なんでもない事をなんでもないように話して接していられた、あの頃に戻りたいとほんの少し思った。けれど、胸に芽生えてすっかり成長した想いをなかったことには、きっともう出来ない。
……好きだと自覚した途端、やることなすことぎこちなくなるなんて、意識しすぎにも程がある。


多分、だけど、恐らく確実に。


あの時、崖から落ちたを助けに来た時の、ユーリから向けられた強くて優しい感情は、きっとが今ユーリに対して抱いているものと同質のものだ。仲間達から少々鈍感だと評されるだが、本当は言われるほどでもない。仕事上、客の気分や表情を読むことだって多々あった。売れっ子売り子と言われるまでの彼女がそのあたりに鈍いわけがない。
だから、わかってしまう。多分お互いを異性として好きなのだと。ユーリが見せたあの強い感情を読み違えることはない。……読み間違えるはずがない。だから問題ないはずなのに。それでもは自分の感情にためらう。
―――この気持ちを、ユーリときちんと共有できたら、共有してしまったら。―――自分達はどう変わってしまうのだろう。
その変化が怖い。けれど、今のこのぎくしゃくした自分も嫌。戻りたいけれど戻りたくもない。ユーリと、ちゃんと笑いあいたい、触れ合いたい。そんな沢山の感情の真ん中で確実に息づいているのは―――


両腕を閉じた目蓋の上で交差させ、目の裏の闇を見ながらは深く息を吐いた。
だから気付かない。やれやれと言った風情のラピードが急に立ち上がりのそばを離れていくことに、そして彼女のそばに長い影が落ちたことに気付かない。気付かないまま、は静かに、一言だけ音にして、こぼした。


「私……、ユーリが、好き」





「俺もが好きだよ」


独り言のつもりだった、吐き出した想いの一言にまさかの返事。咄嗟に飛び起きたのすぐ傍らで、しゃがみ込んでこちらを窺う黒尽くめの幼馴染が小さく微笑み、するり、と手を伸ばしてきた。
ぬくもりが頬をかすめ、ふわりと後頭部に触れる。
引き寄せられる頭。近付いてくるユーリの綺麗な顔に目がチカチカする。何でここにユーリが、という疑問に埋め尽くされた思考が一気に真っ白に染まった。それでも、キスされると悟った


「ぶふ」


咄嗟に、触れかけたユーリの唇を掌で遮った。
手の真ん中に感じたしっとりした柔らかい感触が今まで知ることがなかったもののせいか、艶かしく思えて異様に気恥ずかしい。なるべく考えないようにしながら、小さな声で「だ、だめだよ」と咎める。
ユーリはと言うと、唇の前に翳されていたの手をとり下ろし、心なしか拗ねたように唇を尖らせて、


「なんでだよ、別にいーじゃん」
「よよよよよくない、ここ公園、しかも昼間! 小さいお子さんもたっぷりいるし」
「じゃ、場所変えたらいいってこと? ならほれ、他行こ他」
「や、ややや、ちょっと待ってユーリまずは落ち着こうよ、私達」
「俺はこれ以上なく落ち着いてっけど」
「こっちはまだ落ち着いてないってば! 独り言聞かれた挙句それに返事されるなんて考えてもなかったし、キスされそうになるなんてもっと思いもしなかったんだからね? ほんとにもう…」
「いやほら、何か可愛いこと言ってたじゃんさっき。だから俺もが好きだよーって。……嫌だった?」
「そっ、それはその……好きって言われたのは嬉しか……いやそれでもいきなりキスしようとするのはどうかと思うよ私」
は俺の事が好き、俺はお前の事が好き……って普通に両想いってことだろ? 特に問題ないと思うんだけど」
「場所とか時間帯とか人目とか充分あるよ問題!!」


ああ言えばこう言うユーリを強い調子でピシャリと一喝すると、ユーリはきょとんと目を丸くして、それから眉尻を下げて嬉しそうに笑った。


「久しぶりにまともに会話したな、俺ら」
「……あ……」


言われて気付く。確かにここのところユーリと話をしようとすると口ごもってしまい、結局何も話せず逃げてしまうばかりだったのだ。
なのに今、混乱と勢いの力を借りたとは言え、本当に久しぶりに普通に会話できていた。しかも以前と変わらない調子で。ユーリの言葉に照れたり腹を立てたり突っ込みを入れたり、そんなのは恋心を自覚する前から普通にあったことで、本当に何にも変わっていない。
精々、交わされる会話の中に、ユーリにだけ感じる特別な何かが内包されるだけ。
そう気付き、拍子抜けしてぽかんとしているの頭に、ユーリの手が乗る。


「まぁ、俺のこと意識しすぎてぎこちないお前見てるのも面白かったけどな」
「わーユーリ酷い」
「はは、悪ぃな……でも」
「でも?」
「……一生このまんまで、話できなくなったらどうしようかって思ってたから、すげぇ安心した、嬉しい」


そのまま優しく撫でられて、撫でられる感覚に口元が緩みかけ、照れくさくてわざと口をヘの字に曲げる。
―――昔からユーリに頭を撫でられるのがお気に入りだった、それは今も変わらない。
変わったのは、


(……私がユーリを好きだって自覚した、私の意識だけ……)


すとんと胸に落ちてきた事実が、の唇に笑みを乗せる。そのまま、きっと情けないであろう蕩けた笑顔で、ほわほわと心をただよう言葉をユーリに、告げた。


「ユーリ、大好き」






 









「……………………反則だろ……」


ぼそりと消え入りそうな呟きの後、顔どころか耳まで真っ赤に染めたユーリに噛み付くように口付けられた。





「わー、このひとたちちゅーしてるー」という沢山のお子さん方の声とご家族方の嗜める声に、慌ててユーリを突き飛ばしたのはこの3秒後。










そして、この目撃者の多い告白劇が金髪の幼馴染の耳に届き、後日何故か半泣きのフレンがユーリとガチバトルすることになった際、慌てたのは一人で他の仲間はさもありなんと納得の表情だった。