珍しいこともあるもんだね、と女将は思った。 ここ数年、下町育ちのクセにやたらセレブに見えそうな人ランキング(主催・箒星、協賛・水道魔導器前露店)不動のベスト1に輝くフレン・シーフォが久しぶりの休暇だと言って顔を出したときから、その笑顔の裏に妙な不機嫌さを滲ませている。 女将や主人に対する対応は普段と変わらず朗らかなものだというのに、非常にわかりやすくご機嫌斜めだ。 ……いや、確かに根は単純ではあるけれども。 一見爽やかな笑顔をその端正な顔に貼り付けたフレンは、さして広くない箒星店内の、普段からお気に入りらしい窓際の奥まった席に座り込んだ。とりあえず日ごろの疲れだとかそういうものを労ったり、もしくはおかえり、という意味を込めて紅茶を出してやると、「ありがとう女将さん」とお礼が返って来た。 それでもやっぱり彼の笑顔の奥から滲む機嫌の悪さは収まる気配がない。 これは手がつけられない状態かもしれない、女将は隣のカウンターに立つ主人と目配せをする。 ユーリかを連れて来ないとこりゃどうにもならないぞ、と主人からのアイコンタクトは如実に語っていた。 さてどっちを連れて来るべきか。ユーリのほうが物心つく前から一緒だった分的確に動いてくれそうだが、そのユーリが原因だったりしたら目も当てられないだろう。たとえば久方ぶりに喧嘩が勃発したとか。 となるとのほうが確実にフレンの心を宥めてくれるかもしれない。彼女は昔からユーリとフレンに大事にされている為か、二人と喧嘩をするようなことがない。 特にフレンは、どうやらを一人の女性として意識し始めている節がある。 それ故にその過保護っぷりに磨きがかかり、彼女本人がそれを大げさだと少々不満に思うようになってはいるが。 しかし、彼女はまだ仕事中のはずだ。時間的にはもうそろそろ帰ってきてもいいかもしれないが、今日に限って手伝いが長引かない保障はない。 ……と、思案していたら 「こんにちはー」 と、当のが少しがたつく店のドアを開けて現れたものだから、夫婦は驚いたり安心したりと、少しばかり忙しい一瞬を迎えることになった。慌てて表情を取り繕ったけれどに不審がられなかっただろうか。 はそんな夫妻に気づくこともなく、店内を見回して窓際に座るフレンの姿を見つけてふわりと微笑んだ。 フレンはというと、そんなの様子に眩しげに目を細め、それからその微笑みを深いものにする。 ほんの少し、彼を取り巻いていた刺々しい空気が和らぎ、これならに任せて正解そうだ、と女将はこっそり胸をなでおろし、見守ることにした。(勿論、聞き耳は立てている) 「久しぶりだねフレン、おかえりなさい。今日は休暇なの?」 「ただいま……と言っても明後日までだけどね。ゆっくり羽を伸ばすつもりだよ」 フレンの向かい側に座ったは、ふとフレンの顔に手を伸ばす。 「え、」と戸惑ったような声がフレンから上がった。思わず赤くなるフレンをよそに、の手は躊躇いもなく――フレンの眉間に触れた。 「何か嫌なことあった? ちょっとだけシワ出来てる、ここ」 指先でぐにぐにと遠慮なく縦ジワを揉みこまれて、フレンは唖然との顔を見つめていたが 「……敵わないな」 やがて柔らかく苦笑して、の手を取り、テーブルにそっと下ろした。(隣のカウンターで、でかしたぞっ! ……と主人が小さくガッツポーズしていた。実は当事者たちをよそに、どっちがとくっつくか賭けになっていたりする。ちなみに「フレンとくっつく」と「ユーリとくっつく」に賭けているのはほぼ同数…ややフレン有利…で、「どっちともくっつかない」が両者の合計数の二割程度だそうだ。主人はフレンに賭けているが女将はユーリを応援している) 「――ユーリとね、少しだけ揉めたんだ」 「ユーリと?」 「うん」 の確認に頷いて、フレンはため息をつく。(ここに来たのがユーリじゃなくて良かった、と女将はひっそり安堵した) 何でも一週間程前、次の日に昼頃に時間が取れるから久しぶりに昼食を食べないか、とユーリを誘ったのだそうだ。 ユーリはいつものように冗談めかしながらも快諾、翌日フレンは待ち合わせの場所に来たものの時間が過ぎても一向にユーリが現れない。最初のうちこそ笑っていられたものの、自由時間はどんどん過ぎていく。とうとう昼飯に与かることなくタイムアップ。更に数日後ユーリと顔を合わせた時、時間通りに来なかったことを問い質したところ、 「悪い、寝坊した」 とあっけらかんと言われ、そこから「いつも君はそうだ」だの「お前も相変わらず頭が固いな」だの、お決まりの言い争いに発展してしまったらしい。(喧嘩自体は珍しいのだが、内容が昔からお決まりの言い草だったのでデカイ図体してこれか、と女将は笑いを堪えるのに必死だった) が、その話を聞いていたの顔が申し訳なさそうにどんどん俯いていく。 それに気づいたフレンが訝しげにの顔を覗き込もうとしたその瞬間、 「ごめんねフレン、あの、その日ユーリが遅刻した原因多分私…!」 勢いよく頭を下げたが勢いあまって額をテーブルに激突させることになり、フレンは慌てて治癒術を施した。 魔導器を念のため持ってきてよかった、と苦笑しながら。 「それで、どういうことなんだい?」 優しげな甘い笑顔でフレンはの言葉を促す。彼女に対してはあまり怒りを見せるつもりはないらしい。 ただそれが逆ににはプレッシャーになっているようだった。 恐々、という言葉が見事しっくり来る状態で上目遣いにフレンを窺っている。(そんな顔でそんな風に見たらフレンが逆上せちまうよ、と隣の主人がこっそりしながら喚くという離れ業をやってのけていた。器用である) 「その…ユーリね、ちゃんとフレンのところに行こうとしていたんだと思うの。だけど、私を助けてくれてそれで時間食っちゃったんだと、……ぅぅう、ごめんねフレン」 「君を助けて? ……何があったのか話してくれるね?」 本当は口止めされているんだけど、と前置きしてから、は気まずそうに事の顛末を語りだす。 その日もは普段どおりに仕事をしていた。 ところが「自称貴族」の男が、店の前でに言い寄り始めて商売どころではなくなってしまった。 屋台の主に断ってから、邪魔にならないところでどうにかお帰り願おうとしたら逆に勘違いされてしまい、逃げようにも逃げられない状況に陥ったところを屋台の客(下町のご近所さんだった)から助けを求められたらしいユーリが(かなりの力技で)割って入ってくれたのだ。 「あの時はユーリが神様に見えたし、私は助かったけど……まさかフレンとの約束があったなんて今の今まで知らなかったの。本当にごめんなさい。私が悪いの、だからユーリを怒らないで」 今度はテーブルに頭をぶつけることなく、はフレンに頭を深々と下げる。 そんな彼女の頭を、フレンは微笑んでから上げさせた。その笑顔には不機嫌さの欠片も見当たらない。(やっともとのフレンに戻ってくれた、と夫妻は再び胸を撫で下ろしたのだった) 「事情はよくわかったよ。……全く、ユーリも一言そういってくれればよかったのに」 フレンがわざとらしく肩をすくめた直後、再び店のドアが開きユーリが顔を出した。 タイミングがいいというか悪いというか、フレンの顔を見て「げ、」と気まずそうに顔を歪めたものの、しかしユーリはズカズカと二人のいるテーブル席に歩み寄ると音を立てての隣の椅子を引く。 何だか居た堪れなさげにユーリの顔をチラチラ見るの様子を見て 「なんだ、お前あのことバラしたのか」 「だって……まさか二人が喧嘩になってるなんて知らなかったもの」 申し訳なさでいっぱいになっちゃって、と消え入るように呟くの頭を、ユーリは軽く二度ほど叩く。そんな二人を見やってから、フレンは穏やかに笑った。 「ユーリ、理由があるなら最初にちゃんと言ってくれなきゃ駄目だろう?」 「んな、言うほどの事でもねぇだろ。現に遅刻は遅刻だったんだし」 「まったく君って奴は……」 呆れたようにため息をついたフレンの、その表情は酷くすっきりした爽やかなものだった。
(大体、>フレン≒俺>って感じだよなぁ……)
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