朝のうちから季節はずれの雨が降り続いた日だった。 外に遊びに出ることもかなわない僕は、一人で部屋の中から外を眺めていた。 季節はずれ、というのを除けば何にもおかしなところのない雨。だというのに、雨音を聞いているうちに理由のない不安が心の中で膨れ上がる。 言い知れない嫌な予感。形にならない、不明瞭なそれに子供ながらにざわざわした感覚がいっぱいになって、僕は重く息をつく。 (雨、止まないかな) 雨が上がってくれれば、この嫌な予感も晴れてくれるだろう。そう思い込み、本棚に差し込んでいた本を取り出す。雨の日の遊びなんて僕には思いつかなくて、とりあえず気が紛れそうな読書を選んでみたわけだ。 ハラリ、とそれが落ちた。 淡い紫色の花びらをつけた押し花。摘み上げてしげしげと眺めた。 時折下町に預けられるひとつ年下の女の子と一緒に作ったものだ。すこし人見知りをする、歌がうまくて、結界の外を知ってる、それだけじゃなくいろんなことを知ってる子だった。ユーリと僕に特に懐いてくれた子で、下町にいる間は何をするのも一緒だった。親鳥のあとをついてくるひよこみたいに、ニコニコと笑顔で、鬱陶しいと思うことがなかったというわけではないのに、いつだって目を離していたくない不思議な女の子だった。 、元気かな。 最後に会った日を思い出す。 お父さんに置いていかれちゃうの、と路地裏の隅っこで涙でベショベショの顔を伏せて座り込む姿が胸に痛くて、ユーリとふたりで頷きあった。 大人の言いつけを破るような行いで、正直後ろめたさでいっぱいだったけど、こんな悲しい泣き顔を見ずに済むのならと、真夜中にを馬車の中に隠すことにした。 ありがとう、ごめんね、怒られたら私が悪いのって言ってね、私に無理やり手伝わされたって言えば、きっと誰も怒らないよ。泣き笑いでそんなことを言う彼女と、ユーリと僕はかわりばんこに指きりを交わし。 翌朝、ハンクスさんにばれて案の定怒られて、それでもハンクスさんはすぐに許してくれた。 わかってたのかな、がとても悲しんでいたこと。ほっとしたのも束の間、次の一言にユーリと僕は青くなった。 「あの子の父さんはな、戦争に行ったんだ」 無事でいてくれているだろうか、戦争に行くなんて知らなかっただろうを思いながら、再び窓の外に目を向けた。 チカ、ピカ、と不自然な光が見えた。 何だろう、今の。雨の中で光るものといえば雷だけど、今のはいやに低い位置で光っていた。雷、ではないと思う。気のせいかと思いたかったけど、無視してはいけない何かを感じて、僕は雨具片手に部屋を飛び出した。 外に飛び出たところで、同じような格好をしたユーリと鉢合わせした。どうやらユーリもあの変な光を見たようだった。お互い妙に真剣な顔で頷きあって、下町の入り口に向かって走り出した。 ―――嫌な予感なんてあたって欲しくないのに。 その願いは叶わない。 血にまみれた小さな体がまるで糸が切れて捨てられた人形のように雨に晒されているのを見た、その時の僕の衝撃を君は知らない。 「フレン!!」 バチ、と目を開けると泣きそうなの顔が目の前に広がって、フレンは一瞬混乱する。 さっきまでのは、夢だったのか。 その証拠に目の前の彼女は血まみれでも人形のようでもなく、それに、あの頃の子供らしさは大分なりをひそめていた。手足もすらりと伸び、大人の女性になろうとしている過渡期の真っ只中にある少女はひたすらにフレンの名前を呼ぶ。目を開けたものの反応しないフレンを案じているようだった。 「フレン、フレン大丈夫? 私の事わかる? フレン、フレン!」 うるさいくらいに何度も何度も名前を呼ばれて、僅かにイラつきながらフレンはゆっくり起き上がった。 すると「駄目だよ頭打ってるんだから動いちゃ駄目!」と制止される。ここにきてようやく打ち付けたところが痛みを主張しだして、フレンは大人しく横になることを選んだ。ほ、と息をつくを見て、今度は眉根がギュッと寄るのを感じる。 ―――誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ。 テッドのオモチャが木に引っかかってしまったのが始まりだった。 それを見たが一人木に登ってオモチャを取りにいき、無事確保してゆっくり降りかけていたところに鉢合わせしたフレンが「何やってるんだ!!」と大声で叫び、その声にびくついたの足がずるりとずれ落ちた。慌てて駆け出して何とか抱きとめようとして下敷きになった、というのが事のあらましで。 慎重に木を降りようとしていた人間の背後で急に大声を出す方が悪い、と心の中では理解しているのに、それでもが木に登らなければ良かったんだ、なんていう思いもあって。けれど、とフレンは唇を噛んだ。 (それでも、僕はを守らなくちゃいけない) 脳裏にこびりついた、あの雨の日のの幻想がただただ、フレンを苛む。 (あんなことになったのは、ユーリや僕がを馬車に乗せてしまったから。だから、これは贖罪なんだ) 「ねえフレン」 ぐし、と頬を拭いながらが口を開いた。ぬばたまの瞳は涙で潤み、それでもまっすぐにフレンを見る。 「私、守られてばっかりは嫌だよ」 「え……」 「私だけ守られるばかりなんて嫌だよ、フレン」 繰り返された言葉に、何かが崩された。 「心配してくれてるのはわかるよ。さっきだってフレンが下敷きになってくれなかったら大怪我してたのきっと間違ってないと思う。でもね」 呆然と見つめるフレンの前で、すぅ…と深く息を吸うと、は一気にまくし立てた。 「そのかわりに騎士になりたいって人が大怪我して再起不能になったりしたら、その夢かなえられなくなっちゃうじゃない! 私はフレンに立派な騎士になってもらいたいの! フレンの夢を守りたいの!」 「僕の夢を……」 守りたい。 ぼんやりとその言葉を繰り返して、はっとする。 (いつから、”守らなくちゃいけない”なんて義務感になっていたんだろう。最初はの言葉と同じ、”守りたい”だったはずなのに。) (きっと、あの血まみれのの幻影が強すぎたのかも、知れない。自分が罪を犯した証しのように感じていたのかもしれない。だから贖罪だなんて言って、仕方なく守ってるんだって、……望んでないような素振りをしていのたかな) 眉間のしわがほんのちょっと緩むのを感じながら、フレンは一人自問自答を繰り返していた。 「だから、もう二度とあんなことしちゃ駄目だよ、でも、…………ありがとう、助けてくれて」 最後の最後にようやく笑顔でが言う。テッドが大人呼びにいってから時間掛かってるから見てくるね、動かないでねとしっかり釘を指して走っていく少女を見送り、フレンは結界が浮かぶ空に目を向けた。 (そうさ、守りたいんだよ。やっぱり僕は君を守りたい。君が僕の夢を守りたいと言ってくれた様に僕も君を守りたいんだ) だからまた似たような無茶するかもしれないけど許して、となんだか無性に可笑しくなったフレンは一人笑った。 「どうしたの、フレン。珍しくぼんやりしてるけど」 「うん、ちょっとね思い出したんだ昔の事」 「へぇ、どんな?」 「それは秘密だよ」 「えー」 (君を好きになるきっかけの事だよ、とは……恥ずかしくて言えないな)
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