「蚤の市?」
「そうなんです、今晩から数日間続くらしいんですよ!」


頬を紅潮させたエステルが身を乗り出した。彼女にとって、きっと初めて遭遇したイベントなのだろう。翡翠色の瞳がキラキラと輝き、好奇心と期待感でいっぱいになっているのがよく判る。はそんな彼女の興奮をほほえましく思いながら、エステルの仕入れてきた蚤の市情報に耳を傾けた。


曰く、この町で年に一度行われるらしいこの蚤の市は、初日は日が没してから、翌々日の日没まで続く名物のお祭りに似たようなものだそうで。近隣の町やダングレスト、ザーフィアスからも出店があるなど、中々盛大な規模なようだった。売られるものは日用品や食料雑貨、魔導器の筐体やら値の張る宝石など等、主催者曰く「ないものはない!!」らしい。


「へぇ、すごいのね」
「ええ、本当に凄いみたいで! うふふ、何だか楽しみですね、!」


話を聞いて感心したらしいジュディスに頷き、エステルはの手をぎゅ、と握る。
一心不乱に本に目を通していた筈のリタも気づけば蚤の市の話題に注視していたらしく、絶対に行くつもりらしい。研究者として外に出ることを厭うこともそこそこあった彼女の変化を感じて、はばれないように口元を緩める。もちろんも行って見たいと思っていたところなので「出店たくさん回りたいね」と相槌を打つと、エステルは花のかんばせをさらに輝かせ、どんなものが置いてるのか、どんなものを食べたいかと嬉しそうに語り出した。もリタもそれに頷いたり違う意見を出したり、娘三人のお祭りへの期待はにわかに盛り上がりを見せた。ジュディスはと言うと、いつの間にか蚤の市のパンフレットまで入手してきていた。宿のフロントで貰ってきたらしい。手際の良さは流石だ。


「途中、ユーリ達にも会ったから話しておいたわ、一緒に出かけようって。カロルなんて飛び跳ねて喜んでいたわ、とっても楽しみだね、ですって」


とても微笑ましいもの(きっと飛び跳ねて喜ぶカロル)を見たらしく、ジュディスの美しい笑顔にはうっすらと慈愛の色が滲んでいる。


「一応、蚤の市が始まる時刻に宿のフロント前で集合ってことにしておいたけれど、異存ないかしら?」
「うん……そうだね、いいんじゃない?」
「そうですね! ふふ、楽しみです……!」
「エステルったらそればっかりね」






こうして、凛々の明星一行は蚤の市へ物見遊山に出かけることになったのだ。






さて。
今でこそ旅の身空ではあるが、は元々市場で売り子をして生計を立てていた。その、売り子としての興味が自分の想像より大きかったらしい。市が始まる数十分前、すなわち夕暮れに差し掛かる時間帯には独り宿を出ていた。万が一夢中になって遅れたらごめん、とリタに断ると、同じように夢中になれるものを持つ身としてものすごく共感され、珍しい苦笑いとともに「その時はあたしから言っとくわ」と頷いてもらったりして、は心置きなく出てこれた。


(凄い……前に来た時はのどかな田舎町っていう印象しかなかったのに……)


その準備におおわらわの人々でごった返す真っ只中、は驚愕に目を瞠る。街灯同士をつないだ飾りが夕暮れの太陽と街灯の明かりに花の様に煌き、それが中心の広場から伸びる四方の道に続いてゆく。家々の窓からは色とりどりの花が咲き乱れた鉢植えが顔を覗かせ、その下では建物の入り口を塞がないよう絶妙に配された屋台がいくつも軒を連ねていた。その屋台も綺麗にデコレーションされており、この蚤の市がこの町の収入源であり、観光の目玉でもあると自然と知れる。並べられた商品は、エステルのふれ込み通り、ドネルケバブやおでん、リンゴ飴といった屋台でよく見られる食べ物を始め、果物や魚介類肉といった食料や衣服が雑然と、しかし賑やかに並んでいた。宝石商の姿もあり、確かにないものはない、と言い切れるだけのことはある。
なるべくゆっくり、きっちりと、あたりを観察しながら、は感嘆の息を漏らした。品揃えと、その商品の上質さは帝国お膝元であるザーフィアスに負けず劣らずといったところだった。規模こそ、田舎町である故に小さめではあるが、周辺の環境を考えれば相対的にかなりの大規模といえる。
商人やそれに付き従う売り子たちも華やかな衣装に身を包み、売り物も準備万端。間もなく始まるであろう祭りに思いを馳せながら、宿に戻ろうと体を反転させたとき、はそれを見つけた。
隅々まで見回していたつもりだったのに、何故それだけ見落としていたのか、それは一目で理解した。
暗いのだ。建物と建物の影が重なる位置にぽつりと立つそれは、色で言うなら無彩色の、それも黒が強いもので包まれているような暗さでもって華やかな色彩から切り離された、一つの屋台だった。
いっそ悲惨といえるその暗さに、一度つばを飲み込んでから、は意を決して近付き。








「で、これか」
「あはは、……つい。ほっとけなくって」
「……君らしいといえばそうなんだけどね」
「あは、……ははは」


半ば呆れたユーリとフレンの言葉に、は力なく笑い返した。
その姿は旅装束ではなく、帝都の市場で働いているころの普段着だった。足元まで隠れる巻スカートは足の動きの妨げにならない程度にふんわりと波打つ。 そして屋台の足元には、護衛役を買って出たらしいラピードが邪魔にならない位置でどっしりと構えていた。「バゥ、」と力強く鳴き、ここは俺に任せろとばかりに胸を張る。はラピードに「ありがとね、あとで美味しいご飯あげるから」と嬉しそうにねぎらった。
その背に屋台を訪れた客から声がかかり、が「はいただいま!」ときびきびとした声で返した。これは下手に話しかけたら迷惑だと判断したユーリは先に同じ判断を下していたらしいフレンを追うように、一旦屋台を離れて呆然との働く様を見続ける仲間達の元に戻る。まずは事情説明だ。


「ゆ、ユーリ、は……」


何が何だか判らないらしいカロルの呆けた声にとりあえず、


「急性ほっとけない病が発病しちまったみたいだな」


肩をすくめて結論をだけ答えると、全員が納得したように同調する。理解の早さは何と言うか流石すぎた。全員が全員ともそのほっとけない病に罹っているようなものだから、なのかもしれないが。
その後を引き継いで、フレンが詳細を口にし出した。


「屋台の主が、―――のそばにいるあの二人の姉弟の親御さんなんだけど、どうも前日に倒れてしまったようでね」


この蚤の市は観光の要であり、町の収入源である。それと同時に、屋台で出展する個人にとってビジネスチャンスともなるらしい。だからこそ自分の屋台を飾り商品を美しく並び立て、少しでも大都市の商人達の目に留まるようにしているのだが。
話によれば、本来の屋台の主は今回が初めての出展らしかった。
沢山の人に自分が作ったものを手にとって欲しいと祈り、それだけ手塩にかけた。その苦労に見合うだけの上質なものを作り、ようやく夢叶うと言ったその男は、しかし頑張りすぎたらしく前日になって倒れてしまった。幸い、数日しっかり休養をとれば命に関わることはないだろうと診断されたが、それでは折角の蚤の市に出店が出来ない。断腸の思いで出店を諦めたのだが、親の頑張りを傍目で見ていた子供達がそれをよしと出来なかったらしい。
二人きりで売り物を台車に山と積み、この町にたどり着いたはいいが困ったことに商売そのものに対して何も考えていなかった。どうやって売るのか、いくらで売るのかも何にも考えておらず、挙句あてがわれた屋台の場所も悪かった。まして飾りつけなんてもっての他。半分絶望していたところに、が声をかけた。


「それでは、その姉弟を不憫に思ってお手伝いを?」


エステルの問いに、ユーリもフレンも視線をに向けることで答える。「らしいわね、本当に」とたおやかに微笑むジュディスが、露店に群が り出した客達に列になるよう声を掛け始めた。どうやらジュディスもほっとけない病が発症したようだ。クリティア族の美女の鶴の一声で、ぎっちりと詰め掛けていた買い物客たちが少しずつ列を形成してゆく。
それに気づいたらしいがぱあっと笑顔になるのを見たリタが一瞬何かを考えて、つかつかと歩き出した。途中の笑顔にでれーっとしまりのない顔になったレイヴンの耳を引っつかむ。あられもない悲鳴をあげる中年をよそに、


「売り子は無理だけど、モノは軽そうだし台車から売り物出す作業くらいならあたしでも手伝えそうね」


とあっけらかんと言ってのける。その言葉が聞こえたのか、レイヴンの悲鳴が一瞬ぱたりと止んだ。


「おっさんの腕の見せ所って奴ね! 見ててねちゃぁん!! っ、あ痛たたァっ! リタっちリタっち、おっさんも行くから耳離してお願いぃい」


結局情けない言葉を残し、それでもの前でやたらカッコつけたレイヴンとその背に鋭い手刀を入れるリタに笑顔で頷くが、ぽかんと口を開けたままの姉弟に何かの指示を出す。リタとレイヴンは慌てて動き出した姉弟の後について屋台の裏側に消えていった。


「ぼ、ボクもいってくるね! ……、ボクにもやらせてー!」


の働きとジュディスたちに触発されたのか、カロルが頬を赤く染めての元に走り出す。はまた嬉しそうに微笑み、今度は空になった箱の片付けを頼んだようだった。腕まくりをして片付けに挑むカロルの横顔はとても楽しそうに見えた。


「それにしても、のお仕事している姿初めて見ました……凄いですね」
「本気のあいつはこんなもんじゃないよ、……そろそろか?」
「そうだね、きっとそろそろ」


ユーリの言葉と、それに同意するフレンにエステルが小首をかしげる。


「どういうことです?」
が本気で呼び込みする時ってな、……歌うんだよ。あいつ歌うの好きでさ」
「歌う売れっ子売り子、と帝都の市場では評判でしたからね、は」


目を丸くする姫君と、どこか自慢げに言葉をつないだ幼馴染達に呼応するように、屋台から歌声が流れてくる。
高く澄んだ声とよく通る低い声で歌い上げるその歌は、市場に働きに来た商人達を鼓舞する歌詞だった。
まるで弾むような足取りが想像できるそのメロディに聞き耳を立てた買い物客達によって蚤の市の喧騒が瞬間遠のき、直後、歌のリズムに乗って手拍子が鳴り出した。 最初はまばらに、しかし少しずつ広がりゆく手拍子に紛れて消えることなくしっかり届く強く美しい歌声が、他の露天商や買い付けに来た商人、そして町の住人達を少しずつ引き寄せていく。


その様子にエステルの目が俄かに輝いた。両の手を組み、手拍子に合わせてぎこちなくもゆったりと体を揺らす。
そんな姫君の様子を気にしながら、幼馴染たちの視線は綺麗な歌声をつむぐに吸い込まれていた。確かに市場で歌を歌い客を呼ぶことはあるが、普段は鼻歌程度で、かつ即興のメロディであることが殆どだったはずだ。こうやってまるで舞台に立っているような歌の歌い方をするのは、ユーリたちにとっても初めて目にしたものだった。
しかしそうやって彼女が歌う姿は、昔からとても楽しそうで―――そしてこの上なく綺麗だ。幼い頃からそう思っていた所為か、今こうやって歌うは尚のこと美しく見え、知らず見惚れる。
幼い頃父親について周り世界各地の歌を知るは、ユーリとフレンにとって広い世界の窓口でもあった。そんなとこうして世界を旅することが出来ているのが不思議で、そしてどこかで待ち望んでいた何かが二人の胸のうちを満たした。
行列を整理していたジュディスは珍しく驚きを隠せない様子で、しかしすぐうっとりと聞き惚れるように瞳を閉じた。 素敵な歌、と声なく唇が動き、ゆっくりと三日月を象ってゆく。もしかしたら、テムザに訪れたことがあるという彼女に聞けば、今は自分しか知る者がいないテムザの歌も知っているのかもしれない。―――一緒に口ずさむのもいいものかも知れない。そう心に秘めながら、の歌の世界に浸ってゆく。
カロルは呆然としてしまったのか両手から空箱を取り落とし慌てて拾い上げ、それからエステルと同様に歌声に乗って体を揺らす。ほんの僅かに リズムが浮くものの、カロルはそれを全く問題にせず、ただ楽しげにリズムをとる。そうして、まるでステージに立っているみたいに見える姉のような人を見つめて、どこか嬉しそうに、呟いた。


「……すごいや、歌姫みたい」


屋台の背後にいたリタとレイヴンも、多分に漏れることなくの歌声を堪能していた。 近いところにたたずむラピードは吠えることもせずに、ただ只管天を仰ぐ姿勢のまま耳だけをに向けている。


「なんてよく通る声だろね……凄すぎておっさん鳥肌立つよ……」
「おっさんと同じ意見とか癪だけど……ほんとに凄いわ、手拍子とか他の屋台の音とか、他の音に負けないぐらいに大きい声を出してるのに、びっくりするほど凄い優しい……」
「ほんとにねー……、…………よし、俺様いいこと思いついた。」


レイヴンが何か思いついたらしく、何かをボソボソと呟いて……直後、柔らかい旋風に乗ってピンク色の花びらが舞った。どうやら出力を下げた術を使って場を盛り上げる算段のようだった。珍しく便乗したリタが火の魔術の応用で発生させた蛍のような小さな光を辺りに優しく散らしている。
それを目にしたらしいが、間奏部分らしい空白の時間に、腕を真っ直ぐ横に伸ばした。その指先に僅かに見えたのは―――彼女に宿る希望の公式。


直後、観衆と化していた買い物客たちが一斉にどよめいた。


レイヴンが風に乗せた花びらと、リタが振りまいた光が―――七色に変化して露店の周辺を幻想的に照らし、その中で歌うの歌にあわせて、歓声が上がる。
中には踊り出す人まで現れ、たちの屋台周辺は一層華やかな空気に包まれていた。
―――やがて。
歌声がゆっくりと小さくなり、ふう、と息をついたがはにかんだ笑顔でぺこりと頭を下げた。
途端にギャラリーから喝采が巻き起こり、…………屋台周辺にそれまで以上の客が集まったのは言うまでもない話であった。







 


(歌う売れっ子売り子の称号を得ました)












即席のコンサートが終わり、歌に引き寄せられた客達がジュディスの号令で再び列を作り露店に群がり出した。始まる前と比べて倍増した人ごみは、それでもの手際のよさによって少しずつ捌けてゆく。
露店の前に立ち声を張り上げ客を呼び、客が望む商品を袋に入れ代金を受け取り笑顔で頭を下げる。
ひとつも無駄のない、けれどまるで踊るような優雅ささえ見せるの動きに、エステルが目を奪われたまま呟いた。


「すごい……」


ようやく参加し始めた戦闘でのまだ覚束ない動きからは一切想像がつかないその手際のよさは、ある種の美しささえ兼ね備えている。
それは何かに秀でたものが持つもので、エステルも、リタもジュディスも、ユーリやフレン、ラピードもレイヴンもカロルも持ち合わせているものだ。のそれは、目にするチャンスが今日までなかったというだけで。だが、エステルには一際美しく見えたようだ。……今まで見ることが出来なかったせいなのかも知れないが。


「いつもは可愛らしいが……。……あんなに綺麗な姿初めて見ました……素敵ですっ……」


桜色の唇から感嘆の息をこぼし頬を染めて、どこかうっとりとした瞳でを眺めるエステルに、何故か嫌な予感がしたユーリとフレンは顔を見合わせる。


「なんだろうな、何か入れちゃいけないスイッチを入れた気がするんだが俺の気のせいか……」
「……はは、ははは………………気のせいだといいね……」




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結局祭りが終わる翌々日までの在庫を一晩で売りつくしたは、翌朝になっても未だに興奮が冷めないらしい姉弟を家まで送り。
お祭りを一日潰しちゃってごめんなさいと面目なさそうに謝ったのだが、昨夜のあれこれにすっかり酔いしれていた面々は毛ほども気にしていなかったようである。

中でもエステルが昨夜の出来事を回想している間に感動のあまり涙をこぼし、それから四六時中に張り付くようになったのだった。


「………確実に入っちゃったよな、好き好きスイッチ」
「エステリーゼ様がライバルとは、……困ったな……」


「…………おっさんもびっくりしちゃった……」


―――大人の男たちの悪戦苦闘はこれからである。