ちりちりと日差しが攻撃的になってきたある日の午後。
本丸の自室で書類を片付けていると、廊下からばたばたと足音が近づいてきた。
その足音が風を通すために少し開けたままの障子の前で一度止まる。一拍あけて、すぅっと開いた障子から顔を出したのは、


「お仕事中大変申し訳ありません」
「一期さん?」


ジャージ姿の一期一振だった。額には汗が滲み頬は上気してはいたものの、困ったように寄った眉の下、笑みの形に細くなる目を見て、何だろうと首を傾げる。


「少々、匿っては下さりませぬか」
「は、え?」


匿うとは穏やかじゃない、一体何から? 戸惑っていると、返事も待たずに彼は室内に乗り込んでくる。
この本丸での「紳士」の代名詞に等しい彼が有無をいわさずなんて、本当珍しい。思わずまじまじと観察していると、視線の先で一期一振は部屋の中をくるりと見渡していた。
手付かずの書類と、処理済みの書類。デスク代わりの文机。それと飲みかけの冷たい麦茶が入ったぎやまんのコップ。部屋の片隅で、直接風を当てないようにあらぬ方向を向いたまま首を振る扇風機。そして部屋の主である私と闖入者である一期一振。
それが現在のこの部屋の全てだ。


やはり困ったような表情を浮かべたまま、しばらく一期一振は唸っていた。ところが、次の瞬間にはハッとしたように障子の方へ目をやり、それからこちらを見た。


「ここに主殿がおられると……主殿、こちらに」
「え、えっちょっ、」
「お静かに」


腕をそっと取られたかと思うと強く引っ張られた。とっさに抗議しようとした矢先に制されて、何がなんだか分からないまま(本当に珍しいことに)強引に引きずられる。そうして連れ込まれたのは……押入れの中だった。暗いし狭い。成人男性と二人で入れるような広さなどあるわけがないので、必然的に一期一振の腕の中に抱きしめられる形になって思わず赤面した。


「ねぇ一期さん、ちょっと」
「どうか今しばらくお静かに。……鬼に見つかってしまいます故」
「鬼」
「ええ」


しー、と人差し指を立て、私を押入れに拐かした誘拐犯は薄く開けた押し入れの隙間から外を伺っている。私もここでようやく合点がいった。


「……隠れんぼですか……」
「隠れんぼぷらす鬼ごっこ、といったところですな。説明もせずにこのような真似をして申し訳ありませんでした。しかし悠長に説明をしていられる時間がなかったもので」


いや充分にあったと思う、というツッコミは敢えて飲み込んだ。というか、そうか、逃げ回っていたのか。だからその汗か。単純に追いかけっことなれば機動力のある短刀たちの方が上手だからなぁ。隠れんぼも隠蔽能力的に考えたって一期一振は分が悪いだろう。全力の逃走の末にここに逃げ込んだわけなのか。
ようやく納得出来る解答を手にしたところで、私を抱き込んだ腕がこわばった。息を殺して目を眇める一期一振の視線を追うと、隙間からちらりと垣間見えたのは……恐らく鬼役であろう短刀の足元。小夜左文字と思しき人影が、きょろりと室内を見渡しているのがわかる。しばらく考えこむように佇んだ後、ぱたた、と足音が遠ざかっていった。―――どうやら、ここにいるのはバレなかったらしい。


「無事やり過ごせたみたいだね」
「ええ、主殿のおかげ―――……っ」


すぐ間近でふぅと安堵の息をついている一期一振に向かって笑いかける。
穏やかな笑いを含んだ返事が突然切れた。え、と思って顔を窺ってみたものの、薄暗くてよく見えない。ただ、ふすまの隙間から入り込んでくる光が真っ赤に染まった耳元を照らしていて、あれもしかして照れてる? 何で? そう思った刹那、私を抱く腕に力が篭って、元からゼロに近かった距離が更に縮まる。
―――近い。一期一振の、端正な顔がものすごく近い。そのうえ、体は完全に密着してしまっていて、この体勢だとまるで彼に胸を押し付けているみたいで恥ずかしい。確実に赤くなっているだろう自分の顔が熱くてたまらない。


「い、いち、ご、さん、か、かく、かか隠れんぼ、あの、」


思わず呼びかけた声は上ずっている上に噛みまくりで、正直どうしようもない。というかこの状況が全くどうしていいかわからない。今まで気味悪いと言われたぼっちとして生きてきて、美形というかイケメンとこんな近づいたことなんてなかったのだ、これがゲームの中なら選択肢が出て選べばいいだけなのに、非情なことにこれは現実である。
そうこうしているうちに、後頭部にそっと熱が添えられていることに気付く。……え、ちょっとこれ、え、手?
しかも、少しずつ、本当に少しずつだけど一期一振の顔が近づいてきている気がする。唇をそろりと撫でる指先の感覚に、ますます混乱した。何で? どういうこと、何が起きてるの、予想外過ぎて頭の中身が真っ白に塗りつぶされた。


「……主殿、私は……貴女を…………」


待って、本当にこういう経験値ゼロなの、そんな情けないことを訴えようとも口が回らない。最早、ただされるがままに…………


「わっ!!!」
「「わあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!?」」


ゴッ


「いだっ……!!」
「ぐ…………ッッ!!」


目の前で派手に火花が散った。
スパーン! 擬音がつくならまさにこんな勢いで押入れのふすまが全開になったと同時に思いもよらない声がして、一期一振と私は同時に叫んで離れた、のだが場所が場所だけに後頭部を激しく打ち付けて二人揃って悶絶する。
私達を驚かせた声の主……鶴丸はというと、悶絶しまくる私達を指さして声もなくヒーヒー笑っている。しまいにはうぇっへぐふごほと咽だしたので落ち着けという思いを込めて押入れの床に伏したまま足めがけて蹴りを入れると、真っ白な彼はようやくおさまりつつある笑いをこらえながら、「すまんすまん」と片手で拝んだ。私ごときが蹴りを入れたところで鶴丸を含めた男士達には痛くも痒くもないんだろうが、まぁそれはそれである。ていうか痛い、大分痛い。当初よりはマシだけどまだまだ痛い。
そして、鶴丸の爆笑と頭へのダメージで忘れていたけど、


「鶴丸殿……どうしてここに。いえ、どうしてここがお分かりになったんですか?」


頭をさすりながら一期一振が鶴丸に問うた。同じような疑問を抱いていたらしい。私も重ねて質問すると、問われた鶴丸はニヤリと口元に笑みを作った。


「そりゃ、俺と一期一振は長年の付き合いがあるからな。隠れんぼと鬼ごっこで逃げただろうと思った先を予想しただけさ」
「へぇ……」


そう言えばこの二人と鶯丸、平野藤四郎は御物として長く一緒にいたのだっけ。友人としての付き合いが長いから難なくわかったってことなのかなと頷いた私の傍で渋い顔をしている一期一振を助け起こした鶴丸が、「それにな、」と続ける。


「実は俺は、君のいる場所なら何処だってわかるんだぜ? どうだ、驚いたろう?」
「嘘だぁ」


さすがに胡散臭かった。鶴丸はいつから私レーダー機能を搭載したのか。そんなわけないだろう。下手な冗談だなぁと思いながら、苦笑する。起こしてくれた鶴丸に感謝の意を告げると、彼はカラリと笑った。


「その顔は信じてないな、全く。っと、忘れていた。隠れんぼと鬼ごっこは終わったぞ」
「そうですか」
「ああ。一期一振、最後まで君が隠れきったということで優勝だそうだ。おめでとう」
「はは、ありがとうございます」
「どういたしまして。それとだ、主」
「うん?」
「之定がそろそろ夕餉の支度をするからと君を探していたぜ。行ってやったらどうだい」


それは大変だ。歌仙兼定に叱られる。慌てて部屋を飛び出した。




……結局、押入れでの一幕については聞けないまま、その後忙殺されていったのだった。









「で、だ」
「…………」
「惜しかったな、もう少しで口を吸えたんだろう?」
「……やはりわかっておいででしたか」
「わからないわけがないじゃないか。付き合いも長い、同じ女に懸想している身だ。俺とて、同じ状況に陥ったら君と同じような行動をしているかもしれん」
「そう、ですね。……鶴丸殿は、いつの間に主殿に”糸”を付けたのですか。糸を辿れるならば、それはそれは主殿の居場所を知るのも容易いでしょうな」
「なぁに、主は隙だらけだからな。いつでも付けようと思えば付けられるぞ」
「……それはそれで微妙に複雑です」
「ははは! まぁ一期一振も機会を見て付けてみればいい。ところで…………どうだった、一期一振」
「……………………押し付けられた乳の感触に色々吹っ切れそうになりました……物凄い柔らかかった……」
「君はそんなだから他の本丸や審神者の間でエロイヤルなんて揶揄されるんだな」
「心外な」
「いやこの上なくまっとうな評価だと思う」


糸:多分目に見えないなんかそれっぽいあれ