そのいち やすみの はじまり 地獄全体の盂蘭盆ではない休日は、年に数日あるかないかの珍しいもので、私はそんな休日を、CS見たり現世のゲームを適当に触ってみたり読書したりと適当に過ごすのがとても好きだ。 今日もそんなまったりと過ごすものだと思っていた。―――入り口から、ノックの音がするまでは。 時計を見れば、まだ午後を過ぎたばかり。 通販の配達かなぁ、でもちょっと頼んだ覚え無いなと首を傾げながら、「はーい」と笑顔を作り戸を開ける。 「こんにちは」 開けた先で物凄く鋭い三白眼が私を見下ろしていたので、私は笑顔のままそっと戸を引いた。 しかし、ガッという激しい音がそれを許してくれなかったっていうか鬼灯様の手と足が戸が閉まるのを抑えて……いやああああミシミシいってる!! 特に手で抑えられてる部分ヒビ入ってる!! 壊れる!! 「人の顔を見るなりシャットアウトしようとはいい度胸ですねさん」 だって休みまで鬼灯様の顔見るなんて思ってなかったんですもの! でもってこういう時って大抵何かしらやらかされるんだってわかってるんですもの! 仕方ないじゃないですか! ……と口に出せる状況になく、私は無言かつ全力で何とか扉を閉めようと奮闘したが、絶妙な力加減で抵抗されてしまい、閉まりきるまで二十センチ弱の隙間からどこか楽しげな(けど端から見たらめっちゃ恐ろしい筈の)鬼灯様の視線に耐えないとならないわけで。これ絶対面白がってるよね! くそう、負けるもんか絶対閉めてやる私の休日絶対死守! そんな意気込みが伝わったのか、急にばたん、と戸が閉まりきる。見れば邪魔をしていた鬼灯様の手も足もなくなっていて、やっと諦めてくれたかと思わず深い安堵の溜息が出た。が、私の上司がそんなに甘いわけがない。 「そうですか、そこまで開けるのが嫌ですか。…………仕方ない」 安心した矢先に、しぶしぶという声色で鬼灯様が息をつくのが聞こえた。途端にぞわりと嫌な予感を覚えた私は、息を潜めて続きを聞き逃さないように集中する。 「私の部屋の壁をぶち抜けば貴女と私の部屋が見事に合体して強制同棲ですよねいやはや素晴らしい」 「すみません只今開けます」 私ごときが勝てるわけがなかった。 そのに どうやら デートの おさそい 「唐瓜さんに、言われたんですよ」 部屋の真ん中に鎮座するちゃぶ台に通してすぐ、こんな切り出し方で始まったその内容は、先日鬼灯様が取られたお休みの時のことが絡んでいるらしい。 確か唐瓜さんと茄子さんのご実家に招かれたとか聞きましたが、そう確認すると「ええその通りです」とうなずかれた。 …………どうやらその時の鬼灯様のくつろぎ方が、完全に一人暮らしのそれだという指摘を受けたので、試しに夫婦ないし家族、または恋人同士のくつろぎ方を体験してみたいということだった。 「…………それで私なんですか」思わず脱力すると、さもあたりまえだと言うような鬼灯様の強い視線が返ってきた。 「貴女以外に私の恋人だとか妻という立場に据える人がいるわけ無いでしょうが」 思わず言葉に詰まり、顔が赤くなる。…………心臓に悪いです鬼灯様。 まあ、確かに、以前の告白の返事を保留中の身、だからなぁ。というか正直なことを言えば、返答はイエスで九割二分は固まっている。ただ、いつそれを伝えたらいいのかどうしても時機をつかめなくて、答え返せてはいない。だからって今この場で言うのもなんか妙な気がして、何度か咳払いをする。それから、鬼灯様の希望を聞いて思ったことを素直に口にしてみた。 「そうおっしゃられてもですね、私だって正直そんな方法知りませんよ」 実際私は自然発生した鬼なので、家族というものをまともに知らないのである。 恋人がいた時期がないわけではないが、正直な話千年以上昔のことだから相手の顔も記憶の彼方に消え去っている現状、そんな過ごし方なんて覚えているわけもない。ということを説明すると、恋人がいた話で一瞬めっちゃ怖い顔されて思わず身震いする。仕方ないじゃないですかー……。鬼灯様とお会いする前のことなんだからー……。 「……一部気になるところはありましたが、今回はあえてスルーしますよ」 「そうして下さい不可抗力です」 「……まぁ、さんですから大体そんなこったろうとは思ってたので、寛ぎ方云々は正直ただの口実です」 「口実ですか」 「デートしましょうデート。貴女の返答を早める為の良いチャンスですからね」 「そっちが目的ですねくそう」 …………実は嬉しかったのはなんか悔しかったので言うまい。 とはいえ、この時期は地獄も天国もどこ行ってもものすごい人出があるわけで、また万が一何かしら緊急事態が起きた時にすぐ対処できるようそれほど遠出も出来るわけがなく。 近所の商店街でも冷やかしに行くか、と話がまとまるのは割と直ぐの事だった。 そのさん てりょうり ばんざい 突然だが、私の部屋にはキッチンが存在している。 秘書就任にあたり鬼灯様の一存で部屋を移動させられた際、ここまで勝手されたんだから自分でも勝手していいよねと開き直った結果……勿論ちゃんと許可をとりました……新しい自室にキッチンを増築させていただいた。 無論自分の貯金で賄ったものである。 食堂で料理させてもらってもいいんだけれど、あそこは食堂勤めの料理人さんの城だから、その領域を荒らすのは少し気が引けた結果だった。 まぁ、自炊しているわけだから、料理の腕はそれなりだと自負はしている。自負はしている、けど………… 「楽しみですねさんの手料理」 …………何故に自分より確実に料理の腕が上の人に対して手料理を振る舞わねばならないのか。 私は知ってるんだからね、鬼灯様が以前EU地獄のサタン様をお招きしたお食事の場で金魚草のお寿司(しかもかんぴょうで亀甲縛りまでしてる奴)をお作りになったの。 閻魔様のお話だと切り身が舞うように皿へ落ち、その盛り付けは芸術作品みたいだったとか、銘入りの刺身包丁持ってただとか、桂剥きされた大根が流れるように曼珠沙華を形作ったとか。これがたとえ話半分だとしても、どう足掻いても匠の領域に首の付根まで突っ込んでるじゃないか。 というか閻魔様の話だから大体本当だろうし、その場合鬼灯様三人分くらいの深さまで匠の領域に埋まりきってる筈だ。どう考えても、私が作るより、鬼灯様が作ったほうが味も技術も上だろうに。 だけど件の鬼灯様は、知らない人から見てもわかるくらい機嫌がいいのだ。心なしか周囲に花を撒き散らかしているような……、正直似合ってない。似合ってないけど可愛いと思ってしまうのは惚れた弱みなんだろうな、と自覚しつつ、私は鬼灯様に引きずられるように、商店街のスーパーに向かって足を進めている。 「正直なところ、鬼灯様がお料理作ったほうが間違いなく美味しいと思うんですけど……」 おずおずと、機嫌を損ねないように鬼灯様を伺うと、鬼灯様はちらりと私を振り返り、鼻を鳴らした。 「は、何を仰るやら。いいですかさん、好いた女性の手作り料理ほど、世の男が求めているものはないんですよ。仕事でくたくたになったところに、愛する人のおかえりなさいという一言とともに心のこもった手料理。それは、かの万能霊薬エリクサーをも上回る甘露といっても過言ではない!」 「そ、そうなんですか」 「…………と、現世では言われていますね、私にはよくわからないところですが」 力説されたと思ったら現世の通説だった。鬼灯様本人はそう思ってるわけではないと言うが、その割には妙にゴキゲンな上司を私は疑わしげに見るのだった。 通説は確かに通説なんだろうけど、鬼灯様も実際そう思ってるよね、と。 そのよん あいさいかは なんでもいいよ と いわない というわけでやって参りましたスーパー羅生門。チェーン展開してはいるものの小規模なこのスーパー、それとは裏腹に品揃えの豊富さと安さに定評があるので、ご近所の奥様方にも評判がいい。勿論私もよく寄らせて頂いています。感謝感謝。ちなみに、今回の食費は鬼灯様が全額お支払い下さるそうだ。曰く、「作っていただくお願いをしてるんですから、材料費は当然でしょう」、とのこと。 それはさておき、あそこまで言われたからには作って差し上げようじゃないかと意気込み腕まくりした私は、直後に鬼灯様を振り返る。忘れていた。 「鬼灯様」 「はい、何か」 「…………なにか食べたいものはあります?」 そうなのだ、手料理を食べたいと仰っていた鬼灯様だけど、具体的に何を食べたいのかは言わなかった。リクエストは重大だ。 鬼灯様はふむ、と顎に手を当て、ものの数秒考えて、 「さんが作るものならなんでも……と言いたいところではありますが、それをされた方はたまったもんじゃないですからね」 「全くです」 世の中の献立に悩む奥様に心から同意する。 ならば、と挙げられたメニューは、そう珍しいものじゃない。それくらいならさっさと作れそうだなと頭のなかで計算して、じゃあそれにしましょうと入り口のカゴに手を伸ばそうとしたら、横から伸びてきた骨っぽいのに綺麗な手がさっとカゴを取り上げた。 「荷物持ちは男の仕事です。どれが欲しいか言ってくれたら私が取りますから、さんは自由に選んで下さい」 私が呆気に取られているのに気づいたのか、幾分柔らかい目で鬼灯様が私を見下ろす。やっぱり楽しそうで、嬉しそうだった。なんか恐れ多いと思いながらも、その言葉はほんとにありがたくて、素直に頭を下げた。 が、そのすぐ後に周囲の奥様方の話し声に気づいて、鬼灯様が嬉しそうな理由がなんとなくわかってしまって、下げた頭を上げられないほど赤くなっていくのがわかる。 「ほらァー見てよアンタ! あの一本角の旦那さん、奥さんを見る目が優しいのよ、奥さんのこと本当に大事になさってるのねェー! 愛されてるってああいうことを言うんだわァ! それに比べてアンタときたら……」 まだ結婚してないんですよ、と心の中で否定して、思った内容に更に恥ずかしくなった。……まだ、だって。 あと、もうちょっとでいいから内緒話のボリュームは落として下さい頼むから。丸聞こえです……。 そのご こわいけど かわいいひと キッチンが高級食材で埋まりました。尚、この食材はあくまでも一食分です。……スーパーのレジであんな金額払うの初めて見たよ……。大食漢だっていうのは知っていたけど、まさかここまでとは。ほとんど呆れながら、私はちゃぶ台前でテレビを眺める鬼灯様をちらりと伺う。…………なるほど、確かにあんなごろ寝姿で寛ぎもすれば、唐瓜さんにもツッコまれるわ。思わず苦笑して、再度キッチンを見る。 敵は大量だ……まぁ、量が多いだけってだけだから、何とか出来るでしょう。時間もかかるって予め断ってあるし、とりあえずやるか。愛用の包丁を取り出して、私のバトルは始まったのである。 が、野菜と格闘し始めて十分少々経過した頃。 「…………鬼灯様、包丁握ってるから危ないですよ」 「ああ、申し訳ない。ですが、いくら下ごしらえのためとは言え放置されるのは少しばかり腹が立ちまして」 急に後ろから影が差したと思ったら、お腹のあたりに腕がにゅっと回されて、背中にピッタリと鬼灯様が張り付いた。 以前の私なら慌てちゃってフリーズして動けなかったんだろうが、この手の攻撃(?)が最早日常茶飯事になってしまった現在では慣れたものである。―――恥ずかしかったりドキドキしたりすることには変わりないので、結局のところ"表面上は"という枕言葉が付くわけだが。 「……不思議なものです」 腕の力を強くして、鬼灯様がため息を落とす。ますます密着度合いが高まって、背中から鬼灯様の体温が伝わってきた。 「いつもと変わらない過ごし方のはずなのに、貴女と一緒の空間ではそれだけじゃつまらなくなる」 私の頬に、鬼灯様の頬が触れる。 すりすりと何度かすり寄せられて、熱を分けられて、どんどん顔が熱くなってきた。 あああ、意識してしまうと駄目だ、胸のあたりが物凄くうるさい。鬼にも心臓ってあったのかしら、あったからこんなにうるさいんだろうなどと本当どうでもいいことばかり頭に浮かんでは消えていく。 が、突然その熱から開放されて思わず振り返る。無表情だけど、どこかさみしそうに見える鬼灯様が、「料理中に邪魔をしてすみませんでした」と踵を返そうとするのを、咄嗟に裾を掴んで止めた。 「あの、お一人でのんびりされるのがつまらないと仰るなら、鬼灯様さえ良ければ、一緒にお料理しませんか。その、寛ぐという言葉からは遠ざかりますけど……も、勿論嫌だったらいいんですけど……」 「…………いえ、そうですね。素晴らしい名案だと思いますよ。―――予備の包丁、お借りしても?」 「っ、はい、どうぞこれ使って下さい」 差し出した包丁を受け取った鬼灯様と、並んで下ごしらえを再開する。…………何だか現世の話でよく聞く、新婚さんみたいだなんて思うと少し照れくさいけど、鬼灯様が何だか嬉しそうなので良いことにする。 そのろく わたしの こたえは 「頂きます」 ちゃぶ台ともう一台出したテーブル一面に広がる大漁の料理を前にして、心なしかキラキラしたエフェクトが舞い散ってるような無表情で鬼灯様が両手を合わせる。 …………いや、流石にこの膨大な量を調理するのは疲れた。鬼灯様が手伝ってくれたのは下ごしらえだけで、あとの味付けとかは傍で見てるだけだったし。ちなみに、監修していた鬼灯様曰く、「さんの料理の腕も充分なレベルで高いと思いますよ」とのことで、思わず心の中でガッツポーズしたのは秘密である。 それにしても、地獄の高級食材でこの量か…………。キッチンで並んでいる時にいろいろ聞いた話では、本当にあの山盛り食料が一度の食事で食べる量らしい。それだけ高給取りなのもあるだろうし、見た目からは常軌を逸した食いしん坊……なんか可愛いな。でも、さすがにこれはなぁ。 「どうかされましたか?」 「あ、いえ……ちょっと思ってたんですけどね」 隠すのもあとが怖いので、思ったことを正直に白状する。この量を食べるのにあんな高級食材ばかりで大丈夫なのかと。というかいくら大食漢でも流石にこれは食べ過ぎのレベルじゃないか。閻魔様と同じくらいは食べるって聞いてはいたけれど、今日のこれはその量をはるかに超えてる気がする。が、鬼灯様は、 「普段はもう少しだけ質素ですし、基本は外で食べてますから。それに、今のところ頂いているお給料でまかなえてますし、貴女と一緒になったらもっと余裕も出るでしょう」 と、どこ吹く風であまり取り合ってくれない。……食べるのがお好きなんだろうか。お酒も好まれるし、割と食べ物にこだわるのかもしれない、と思いつつも口を開く。 「一緒になったらと言われても、今後私に子どもが出来たら私の稼ぎなんて見込めなくなりますよ、そこのところお判りですか?」 言った途端、鬼灯様の手からお箸がぽろりと落ちた。こちらを凝視する目はこれまた珍しいほど見開かれていて、なにか頓珍漢なことでも言ったかなと首をひねり、…………あ。あ、あああわわわわわわあわわわわ。 わ、私に子どもが出来たら……!? 「―――そうですね、それもそうです、私とさんに子どもが出来たら、そうですよね。ならばそんな心配が要らないようにますます仕事に精を出さねばなりませんね、ええまったくその通り」 「いやあの鬼灯様、今のはその」 「普通の子どもはちょっと面倒だと思っていましたが、さんとの子どもなら可愛がれるかもしれません。男の子でも女の子でもいくらでも作りましょうね」 「だからですねあの鬼灯様、今のはつい今日一日がまるで新婚夫婦みたいだったので何となく結婚した後の生活を想像してですねあの」 「ならそれを本当にしてしまいましょうか、後で私の部屋につながるように壁ぶち抜きますので荷物整理してくださいさあハリーハリーハリー」 「ですからその」 「ご飯を頂いたら早速子作りに取り掛かってもいいかもしれませんね、まぁすぐ出来なくても私個人としては構わないんですが」 「はぁ!? ちょっ、もう鬼灯様落ち着いて!!」 どうもさっきの発言で何かに火をつけたのか、ちゃぶ台を離れてやたらとグイグイ迫りくる鬼灯様に気圧され、じわじわ壁際に移動する私。ちょっと待って、落ち着いて、と宥めにかかるもまるで意味を成さない。 「っ、というか、私まだ告白の返事してません! 子作りだとかそんなの気が早いの一言で」 「…………嘘付かないで下さい。とっくに答え、出してるんでしょうが」 咄嗟の一言を放つと、さっきまでの調子とはいきなり打って変わって、静かに言葉を制される。気付かないとでも思ってましたか、と無表情のドヤ顔で言われると、もう勝てる気がしなかった。 そうなのだ、この仕事中毒で無自覚天然ドSな私の上司は、百年もずっと私のことを見ていてくれた人なのだ。近くから、遠くから、ずっとずっと凹んでいた私を見守ってくれていた人だ。どれだけ私が怖がっても、大丈夫だからとずっと手を差し出していてくれた人だ。―――私より私を知ってる人なのだ。 「ほ、鬼灯様はずるいです」 それでも、素直に認めるのは癪だったので、つい毒づいてしまった。 気づけば壁を背にしてしまって、もう逃げようがない。鬼灯様もそれをわかってるので、さっきまでの鬼気迫る迫り方ではなく、そっと閉じ込めるような近寄り方で私を追い詰める。その三白眼はやっぱり傍目には怖いのかもしれないけど、めいっぱい柔らかい眼差しだったから、逆に逃げるのも馬鹿らしくなるようなそんな気持ちになって。 「ずるくて結構、さんだって随分ずるかったですよ」 喉の奥だけで笑った鬼灯様に聞こえるだけの小さな声で、いつかの告白の答えを返した。 結局のところ、私はこの人に勝てないし、大して勝つ気もないのである。
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