「お香ちゃん! 元気だった?」
「あらァ、ちゃんじゃない。お久しぶり」


それは昼時を過ぎた、ちょっと閑散とした食堂での一幕だった。


報告書を提出してそのまま昼餉をとろうと思ったお香が食堂に入ると、先日閻魔庁第一補佐官秘書に大抜擢された友人がテーブルについていた。彼女と会うのは数ヶ月ぶりになるだろうか。


「今は様って呼んだほうがいいのかしら」
「やめてちょうだいな、ついこないだまで資料室整理が仕事のただの獄卒だったのに」


定食を持っての正面に席を取りながら笑うと、彼女は困ったように眉を寄せながら、味噌汁を啜った。一口含んだ途端幸せそうに顔を緩め「おいひい」と笑うに、微笑みながらお香も箸を持つ。


「元気そうでよかったわ」
「お香ちゃんもね」
「……秘書のお仕事、どう? やっぱり大変よね」
「ん、んー。そうねぇ……やり甲斐は凄くある、うん」


聞けば、秘書とは名ばかりで基本的に彼女の上司の仕事の数分の一をが請け負っているらしい。
書類の審査・校正、陳情書の取りまとめ、各部署への視察や要望書、レポート作成後の報告などなど、これだけでもまだまだ序の口だとか。
現状は三割弱程度を任されているらしいが、いずれは半分ぐらいまでは引き受けたいのだとは言う。あの多忙中の多忙を極めた地獄のナンバー2の激務を三割ほど賄えるだけの有能さに、お香は感心した。
そのうえ、まだ仕事がほしいと言ってのけるに、彼女の直属の上司並みの仕事中毒の影を見て心配になる。が、それを今に言ってもどうしようもないのは長い付き合いからお香は知っていたので、とりあえずはその心配に蓋をしておくことにして、お香は話を続けた。


「…………ちゃんのお仕事って、秘書というよりは専属の助手のようなものなのね」
「確かにそれに近いかも」


味噌汁のおかわりをもらってきたは頷いた。ぷかぷか浮いている灰色の具を飲み込んで、ため息をつく。


「実際秘書として働いてみて思った。鬼灯様お一人であれを全部こなしてきたなんて本当凄いなって」
「………それは思ったわ」


たまに閻魔庁に来るだけのお香から見ても、かの鬼神の仕事量は他の獄卒より群を抜いている。裁判の記録、補助、各部署のトラブルシューティング、視察、新人研修やイベントの企画立案、予算にも携わり、その上で呵責にも参加したり、頑丈が売りの鬼にしたって相当厳しいのは確かだ。


「なんて言うのかな、いつかお倒れになるかもって正直心配なのよね。だからせめて、半分までいかなくても四割くらいは鬼灯様のお仕事を請け負えるようになりたいんだけど」


そうため息をつくの目には、只管に鬼灯を案じている光がある。
恋愛感情に蓋をしているはずの彼女の眼差しには、上司への想いが色濃く映り込んでいるのに、彼女は怖くてそれを認めようとしない。存在を認識しようとしない。
とはいえ、件の上司がそれをどうにか認めさせようと奮闘していて、その結果の一つが彼女を無理やり秘書に起用するという、からしたら恐らくはた迷惑な、けれど確実にどこかで待ち望んでいただろう風穴になったわけだが。
……そのあたりの事情の一部を知るお香からすれば、鬼灯様も大変だったしある意味大英断だったわね、などとしみじみ思った。しみじみ思って、ふと我に返るとが微妙な顔をして考えこんでいる。


「……どうしたの? なにか変なものでも食べたの? このお味噌汁、具はあんまり見たことないわよね」
「うん、でも美味しいよお味噌汁。……ってそうじゃなくて、ちょっとね。…………あの"貴女が欲しい"発言は、仕事を私になら任せられるから秘書になれっていう婉曲的表現だったんじゃ……」
「…………何を言われたかは詳しくはわからないけど、さすがに違うと思うわよ?」
「………………ですよねー」


……なるほど、恐らく鬼灯に言われたのだろう、何かしら好意を表現するようなことを。
だとすれば、それは全く他意なくそのまま好意を示しているものだ。というか、あの鬼灯が周囲に憚ることなくを大切にしているのは周知の事実である。その鬼灯が今更仕事の手伝いだけを目当てに"が欲しい"などと発言するだろうか―――いや、しまい。
出した結論に従って指摘すると、も言ってて苦しいと思ったのか、ばたりとテーブルに倒れ伏す。が、行儀が悪いと思ったらしくすぐに起き上がって居住まいを正した。けれどそれはものの数秒ももたず、たちまち背中を力なく丸めて、目を伏せた。
揺れる睫毛に複雑な感情が滲んでいるのを感じ取って、お香は優しく手を伸ばしての頭をなでてやる。
お香としては、どちらに転んでもいいのだ。見ているこちらが泣きたくなるほど傷ついたこの子が―――、が、幸せになってくれるのなら、鬼灯とくっつこうが、別の人とくっつこうが、あるいは一人で居続けようが、が幸せになるのなら本当にどちらでもいいと思っている。
素直に恋もできなくなってしまった目の前の友人のことを、こんな風にした百年前の事を恨みたくなるほどにはお香は大切に思っているから。


「……ありがとねお香ちゃん」


感謝をつぶやく小さな声に、お香は柔らかく微笑んだ。





 







そろそろ休憩終わるから、と慌ただしく出て行ったとすれ違いで鬼灯が食堂に入ってきた。
お疲れ様ですとお互いに声を掛け合って、は執務室へ駆けてゆく。それを目を細めて見送った鬼灯が、お香の存在に気づいた。カウンターで注文した定食を受け取り、お香が座る正面に腰を下ろした。


「お疲れ様です、鬼灯様」
「ああどうも、お香さんもお疲れ様です。……さんとお昼を?」


問う鬼灯に頷いて、お香は「久しぶりに昔からの友人と一緒に過ごせましたわ」と嫋やかに微笑んでみせる。


「……それですよ」


味噌汁……どうやらが食べていたものと同じ味噌汁らしい……を啜ってから鬼灯が言った。それってどれだろう。お香は首を傾げて鬼灯の言葉を待つ。


「以前から気になっていたんですが、さんとお香さん、タイプは全く違うのに仲がいい。しかも、少なくとも百年以上前から友人関係じゃないですか」
「ええ、そうですわね。何しろ、ちゃんとは幼馴染同士だし……」
「!?」


こてんと首を反対にかしげながら答えると、鬼灯がいきなり目をむいた。珍しい反応を見たと思った数瞬後、この話はしたことなかったっけと鬼灯の様子に合点がいく。


「ええと、うちとちゃんの家が近所でしたから。ただ教え処は違っていたから鬼灯様はご存じないかと」
「……すみませんお香さん。その話もうちょっと詳しくお願いします」


味噌汁を一気にかきこんだ鬼灯が身を乗り出してきたのを見て、お香はついつい苦笑する。




お香としては、どちらに転んでもいいのだ。見ているこちらが泣きたくなるほど傷ついたあの子が―――、が、幸せになってくれるのなら、鬼灯とくっつこうが、別の人とくっつこうが、あるいは一人で居続けようが、が幸せになるのなら本当にどちらでもいいと思っている。けれど。


(ちゃんにも見せてあげたいわ、貴女のことでこんなに必死になる鬼灯様のこと)


どうせなら、もうひとりの幼馴染にも幸せになってもらいたいものだ。