質問です。 なんだこれ。 鬼灯の執務室に置かれたの席の前で、謎の立て札が無駄な存在感を放っていた。 その立て札を、直属の上司がせっせと埋めている。「こんなものですかね」と特に汗が滲んでいる様子もない額を拭うふりを見せた鬼灯だが、には鬼灯が何やってんだか全くわからない。 「ああ、さんは危険だからその椅子に座って動かないように」 「!?」 本当に何やってんだ。 白澤と桃太郎は、その光景を見て絶句した。絶句したというか、絶句せざるをえなかったというか、とにかく絶句した。 をいたく気にいった白澤が、鬼灯と顔を合わせるリスクを負ってでも補佐官秘書に会いに行こうと言い出すのは正直桃太郎でも予想がついていた。ということは、きっとこの執務室の主にもそれくらいは簡単に予測できていたのだろう、それは納得できる。納得はできるのだが、だからこれはどういうことなの。 隣の師を横目で観察してみる。米神がピクピク痙攣し口元は引きつっていて目は欠片も笑ってない。今にも爆発しそうな勢いである。賢明な桃太郎はここで自分に退避命令を下した。そっと三歩分後ろに下がって、おそらくこの場で唯一の被害者になるに同情的な視線を向けて、 (南無南無) とりあえず拝むことにする。の助けを求めるような強い視線は見なかったことにした。地獄最凶人物を相手になんて誰が出来るか。ただでさえこっぴどく心折らされたんだから。という意味を込めて、ゆっくりと首を横に振る。の口がそんなぁ、と声を出すことなく動いてへの字に曲がった。強く生きて下さい。 「おやさん。桃太郎さんとアイコンタクトですか。……………………妬けますね」 地を這う声が桃太郎を敵として捕捉しようとしたのに気付き、おとぎ話の英雄は慌てて声の主に勢い良く否定してみせる。既に死んだ身だが、だからってわざわざ死ぬより痛い目に遭いたくないのだ。今度こそこの修羅場から退散すべく、桃太郎は一目散に執務室を飛び出していく。出来ればもう二度と見たくない立て札には、こう書いてあった。 『この先罠があります』 その立て札の後ろで、鬼灯の膝の上にが横向きで座らされていた。 ご丁寧に腰に両腕を回して甘く抱き寄せ、の首筋に顔を埋めて。時折戯れになのか、ちゅぅ、と白い首に吸い付く素振りを見せている。そのたびには出そうになる変な声をこらえながら、机に積まれた書類を片付けるという最早セクハラどころではすまない領域の所業を受けていた。 (なんだこれなんだこれなんだこれなんだこれなんだこあ、ここ誤字があるっていうかなんだこれなんだこれ) 「さんは普通に伝票の処理をおねがいします。……ただし、私の膝に座って」 とんだ爆弾発言に危うく卒倒しかけ、なんとか気を取り直して抗議したにもかかわらず、すっかりいなされてしまった自分がとてつもなく恨めしい。きっと今の顔色は面白いぐらいに紫色になってるだろうなと、いっそ失いたい意識の片隅で他人事のように思った。現在最大級で秘書就任を後悔しているのは言うまでもなく、握り潰されるとわかっちゃいるが、後で絶対異動願を出してやると決意しながら必死で機械的に作業を推し進めていると、 「やっぱり強情ですね」 と艶めく溜息が耳にかかり、そのまま、耳たぶをカプリと噛まれる。途端背筋を走る痺れるような強烈な刺激に、ついにから「んぁぅ」と声が漏れた。慌てて両手で口を隠すが、遅い。 「可愛い」 簡潔な、でもどこか満足気な感想が低く呟かれた。シンプルな感想だが、それが逆に羞恥を煽るというか、とにかくはもう勘弁して欲しいと泣きそうになる。 一方の白澤は、可愛いと呟いた瞬間こちらに向けて勝ち誇った視線で見下してきた鬼灯に対してそろそろ我慢の限界が訪れかけていた。 くそ羨ましい、とは思っても言わない。言ったら多分そこで負けが確定する。 首筋と耳をいじられて頬を赤く染め上げ、涙を滲ませながら声を我慢するは、どう見てもご馳走(無論性的な意味で)だった。正直そういうのはちゃんと合意の上で僕がしたかったのに畜生め。 にしても、立て札の『この先罠があります』という文言が不穏すぎる。 おそらく実際に罠を仕掛けてあるだろう、と白澤も勘付いてはいるのだが、罠を仕掛けた痕跡があまりにも多すぎて、ダミーなのか本物なのかどうにも区別が付かなかった。迂闊に混じりに…………ではなく、を助けに行こうとすれば、思いもよらない所で引っかかる可能性もある。妙にこちらの警戒心を煽るいやらしい罠のかけ方だった。 我知らずのうちにギリギリと歯を食いしばっているところに、「や、」と悩ましげな声が白澤の耳に届く。我に返ってと鬼灯を見れば、なんと鬼灯がの小袖の襟をくいっと引っ張って、現れた白いそこにくちづけていた。 …………またもや勝ち誇った表情で白澤を見下して。 そこが神獣の我慢の臨界点だった。 「いーい加減にしろそこのセクハラ鬼神!」 トラップゾーンを一息で飛び越え、白澤が鬼灯との眼前に着地した。 そのままぽっかりひらいた深穴に落ちていく。
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