「西から昇ったおひさまが、東ぃぃぃぃぃぃにしずぅむぅぅぅぅぅぅう」


普段、人が訪れることが滅多にない地獄資料室倉庫。
ちらちらと埃が舞い飛ぶその最奥でやたらコブシを利かせて歌いながら、は書類の整理に勤しんでいた。選曲が正直おかしいが、あいにく頭のなかのBGMがこれだったのだから仕方ない。脳内BGMに逆らうとそっちばかりに気が行って作業効率が下がる気がするし、何より現世の古いアニメソングは覚えやすい曲調が多くリズムに乗りやすい。単純作業に勤しむのであれば、むしろ推奨したい勢いである。
ノリノリで歌いながらも、の作業はさくさくと実に手際よく進む。手にした書類の冒頭にあるタイトルを読み取っては区分けし、一区分に百枚たまったところでインデックスを付けファイリングする。ファイリングしたものが十冊溜まったところで所定の書棚に年代毎に仕舞いこんでいく。そんな作業を既にかれこれ二日間続け、倉庫の半分を占めていたここ数世紀分の資料は残り僅かになっていた。

鼻歌も混ぜ歌い続けるの背後にあるドアが音もなく開いた。ゴキゲンで歌うはそれに気づかず、手にした書類を区分け用の箱に投げ入れながら、


「赤でスタァート、黄でダッシュ、それでぇぇぇ事故なのぉだぁぁぁぁぁあ」


これでぇいいのだぁーこれでーいいのだぁーと続く、観客が居ないはずのワンマンショーは、


「ボンボンバ○ボン○カボ」「選曲が随分微妙ですね」
「ンぼゥん!?」


肩に置かれた手と艶のあるバリトンボイスで強制的に終了することになった。
驚きすぎて早鐘を打ちまくる胸を押さえながらバッと振り返るに、「倉庫整理お疲れ様です」とあまり抑揚なくねぎらいかけてきたのは、閻魔庁第一補佐官鬼灯その人である。


「ほっ、鬼灯っ、様っ」


呼びかけながら、は心中で面倒なところに面倒な人が来たと毒づく。
とはいえ、鬼灯を嫌っているというわけではない。むしろその逆だ。尊敬しているし、憧れだってある。恋愛感情だって抱いているのも自覚している。けれど恋をする相手が悪かった。
閻魔庁のナンバー2であり、数いる獄卒のトップに立つ鬼神。すらりとした長身で、癖のない黒髪と切れ長の鋭い目を持つ端正な容姿はさながらどこぞの高貴なひとのようでもある。性格は若干難があるかもしれないが基本礼儀正しく、亡者以外の女性にはフェミニストのように接する。
これでもてない筈もなく、八大地獄に務める独身の女性獄卒の相当な数が鬼灯にただならない思いを抱えているわけだ。遠くからそーっと見ているだけで、ままならない気持ちに左右されるひとも多いだろう。
いつか、たくさんの女性の中から自分を見てくれる日が来るかもしれないなんて、ありえない妄想に身悶えて、現実にかえって妙に恥ずかしい思いをしたりする、そんな女達。だってその中の一人だった筈なのに、それが覆ってしまったのはもう百年とちょっと前になる。
その鬼灯が本当にある日突然(鬼灯曰く「するべくしてそうしただけ」とのことらしいが)、にちょっかい(視点)を出すようになった。
妙に熱を感じる眼差しを向けられたり、仕事以外の場で気を使われるようになったり、仕事上がりにちょくちょく食事に誘われたり、誘われて食事に行った先でそれとなーく密着されることもあったり。要するに、『第一補佐官の鬼灯』としてではなく、『鬼灯』という個人の男性に異性として扱われるようになった。それに気づいたのは、鬼灯から食事に誘われ始めて数年経ってからようやくだった。我ながら鈍かった。
人からの好意にあまり鋭くないですら、確実に特別扱いされているとわかる鬼灯の態度に、最初のうちこそ舞い上がりもしただったが、ふと気づけば周囲の女性陣からの視線が冷たい。
敵意溢れる視線と刺々しい態度で接され、同僚の女性たちからハブられていると気づいたのは、鬼灯がのいた部署を直接訪れ、人目がある中で食事に誘われてから割と直ぐだった。具体的に言うと三日も経たないうちだった。悪意には敏感なのが我ながら狡い。
だが、気付かざるをえないほどにきつかったのだ。女のいじめや嫌がらせはネチネチとしつこいのが現世の定番だが、地獄でもまさにその通りだった。まず仲がいいと思っていた同期があからさまにを避け始めた。
その次は慕っていた先輩、そして妹のようにかわいがっていた後輩と続き、気づけば孤立していた。鬼灯に媚びを売る、パッとしなくてやらしい女、そんな扱いをされて。
当時のは周囲との連携が大事な部署で、その連携の連絡役という仕事をしていたのだ。連絡役が無視されてしまえば、仕事も何もあったもんじゃない。
なんとか元に戻さねばと笑顔で接してみたりもしたがやっぱり顔をしかめられては無視され、逆にこちらが冷静に対応しようとすると「思い上がってんじゃないわよ」「嫌な女」だのと陰口をたたかれるようになり、とにもかくにも何をやってもいい方向には向かなかった。正直退職も考えたくらいだ。
幸い現在は当時の職場から地獄資料室管理主任として異動になり(地獄の編成会議で廃止された)、周囲にも理解され、新しい友人にも恵まれた。
でもあの時の手痛い経験がに強烈なトラウマを植えつけたのも事実。
は痛感したのだ。


恋愛<<<<<<<(超えられない壁)<<<平穏な日常・ホワイトな仕事環境、これが一番大事。
下手なシンデレラ・ストーリーに巻き込まれると果てしなくめんどくさいのでスルー推奨がベストである、と。


それに気づいてからの百年近い時間、鬼灯に笑顔で接しつつもきっちり距離を取る、社会人(?)としてのお付き合いの場以外ではなるべく二人きりにならない、お誘いも断る。
これを徹底しつつ、それなりに怪しまれない程度に、でも明確にNOを意思表示して避けてきたつもりだ。厄介かつ面妖なことに、あんな目に遭ったというのにもかかわらず恋心は消え失せるどころかじわじわ育ちかけたが、そこは気合で蓋をして。
いっそ、こんなつれない女に構う必要ないんですよ、私はただのその他大勢にすぎないんでそんなに構わないでくださいよと、面と向かって言ってやりたいくらいには、そうしてきたつもりだった。
が、それでも鬼灯は休憩時間の合間にこうやってに構うのだ。ずっと提示してきた『構わないでほしい』という態度カードをわかっていながら、それを華麗にスルーしてに近づいてくる。あえて、頻繁に、という程でもないのがまた微妙に嬉しくて結構憎らしかった。


「息子の名前がタイトルなのにどうあがいてもその父親が主人公にしか見えないアニメの主題歌の五番ですか。また随分マニアックなところをご存知ですね」
「……現世の生活の資料と接することも多い部署ですから、つい」


鬼灯の感想に、差し障りない返答をする。古くてマニアックな歌をノリノリで熱唱かつ暗唱していたのを聞かれてしまったのは痛恨の極みであったが、聞かれたものは仕方ない。……仕方ないと思うが、アニメの内容を知っている上に歌詞が五番にあたることも分かっている鬼灯様も充分マニアックじゃありませんかと、心のなかだけで全力で突っ込む。
そうしているうちに、会話を続けることに危機感を抱いたは、「それで」と切り出した。BGM(歌:自分)を脳内再生に切り替え、手元は作業を続行。仕事の邪魔をしないで欲しい、と全身でアピールする。そのの意思を汲み取ったらしい鬼灯は、頷いて、事も無げに。


「ああ、確かに雑談でお仕事の邪魔をするわけにはまいりませんね、では手短に要件だけ」


三日後から、さんには私の秘書になっていただきます、と。そう宣った。


「かしこまりました、三日後から鬼灯様の秘書…………………はぁぁぁ!!?」


どうせ書類捜索の手伝いだろうと高を括っていたのがいけなかった。
かしこまりました、なんていつもの調子で返事をしたらまさかの鬼灯の秘書就任要請とか、いくらなんでもあり得ない!! 手にした書類がばさばさと散らばるのも放ったらかしにして、は顔を青くしたり赤くしたりした。面倒だけど嬉しいけどやっぱり面倒だ! の心の動きをあらわしてころころと変わる顔色に、鬼灯の鋭い目が更に楽しげに細まったのには気付かない。


「もっ、申し訳ありません、今の返事は仕分けに没頭して鬼灯様のお言葉をしっかり伺っていませんでしたので、ですからそ」「色好いお返事を聞けて何よりです。なに、さんほど有能な方ならすぐに仕事にも慣れます」


あ、これお座成りな返事だって判っててあえてスルーしてる。ドSだからか、くそぅ、私の大馬鹿者…………と俯いて無言で悔しがるの頬に、ひやりとしたものがすぅっと触れた。――鬼灯の指が、自然な流れでの顔を上向ける。それで目的を果たしたかと思いきや、指は離れることなく、爪で傷を付けないよう慎重な手つきでのなだらかな頬を緩やかに撫で続けた。
さりげない触れ合いは数あれど、ここまで強く男女の空気を醸し出すような、艶めいた触れられ方なんてされたことはなかった。嫌でも恋愛感情を意識させられて、カッと顔が熱くなる。頭が真っ白になって、何だかおかしくなりそうだった。動揺する彼女にお構いなしに、閻魔庁の黒幕たる男は冷徹なまま、けれど少しだけ熱を込めた声色で、をひたりと見つめながら言う。


「これでもずっと我慢してきたんです。貴女は私に笑顔を向けて従順な態度を取っていても、その心根は反骨精神に溢れていたでしょう。それはそれで懐かない仔猫のようで、大変に可愛らしいと思っていますし、貴女を好ましく思う一因でもありますが。でも、そろそろ限界でして。……いい加減貴女が欲しいんですよ、さん」


――明らかに厳かに告げる必要がない内容を、何故か荘厳に伝えられて、は二の句も告げない。
そこまで思われて嬉しいとときめく反面、何言ってんだこの鬼神ひと、私が嫌がらせ受けてたこと知ってるくせにこんなことしたらどうなるかわかってんでしょうが、という思いもあって、混沌とした胸の内はぐるぐる渦を巻く。
公私混同、ここに極まれりじゃないか、口に出してそう突っ込みたいが、そうしたところで「そうですがそれが何か?」と開き直られたら色んな意味で駄目になりそうな気がした。
どうしようどうしたら回避できるか、と一回瞬きをする間にめまぐるしく思考を巡らせ、不意にあっと思いつく。
あとで直接、閻魔大王に異動願を出して何とかしてもらえばいいじゃないかと思い至ったところで、「ちなみに、」とどこか愉快げな低い声がその名案を真っ二つにぶった切った。


「閻魔大王に異動願を出したところで、どうせ私の手元に回ってきますよ。当然揉み潰します」







――こうして、地獄にその人ありと(いい意味でも悪い意味でも)謳われる鬼灯にとうとう本気を出させた女としてそのうち名を馳せることになる、閻魔庁第一補佐官秘書という肩書を無理やり手に入れさせられたの平穏な日常は終わりを告げた。
が、は諦めない。いつか平和で穏やかな日々を取り戻すべく、どうにか鬼灯を経由しない方法で異動願を提出し続けることを決意したが、彼女の求める平穏が手に入るかは定かではない。


だが、彼女が恐れる面倒なことなど、永劫起きうるわけがない。は知らないが、彼女が陥ったその状況にいち早く気づいて、解決に動いたのは他ならぬ鬼灯そのひとだったから。
もしも今後そんな事態になろうものなら、多大なる権力と行動力(と物理的な力)を持つそのひとが仕事に差し支えない程度の全力で叩き潰すぐらい全くわけもない程に大事にされているのだと、そしてそれがどうしようもなく周知の事実だということを、は知らない。
ついでに、そのあらゆる力をあらゆる方面で駆使しまくって全力で公私混同した結果、の居室が鬼灯の居室の斜向かいに移動させられたことも、知らない。